『歴史探訪』(76)
江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎
今年は当社に4名の新入社員が入って参りました。2月12日に東京ゲートブリッジが開通し、江東区の新名所となり評判は上々のようです。
彼らに江東区の発展振りを披露しようと思っておりましたら、タイミングよく、東京商工会議所江東支部から「名所巡り大絵図」と江東ロータリークラブから50周年を記念して「深川 今昔ふるさとの歴史」が発刊されました。今回はこれらを紐解きながら江東区の歴史を探訪します。
香取神社
江東区の最北、亀戸にある香取神社は、創立天智天皇4年(665)と区内最古を誇っています。天智天皇が中大兄皇子の時、中臣鎌足と諮って大化の改新を成し遂げましたが、鎌足が当地を訪れ、香取大神を招き、太刀一振を納めて旅の無事を祈願したことが創立の起因と云われました。
亀戸天神社
香取神社と目と鼻の位置にあり、寛文2年(1662)創建、4〜5月に咲く藤の花が有名で、広重の「名所江戸百景」にも描かれています。
中川船番所 前回記述に付省略
芭蕉記念館
芭蕉は1644年、伊賀上野に侍の子として生まれ、29歳で江戸に下り、延宝8年(1680)から深川に庵を結び、14年間ここで過しました。有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」はここで吟まれました。ここから舟で隅田川を遡り、南千住に上陸し、奥の細道を行きます。庵の跡地に芭蕉記念館が建てられ、俳句愛好家はじめ多くの人で賑っています。
富岡八幡宮
「辰巳やよいとこ素足が歩く羽織やお江戸の誇りもの八幡鐘が鳴るわいな」江戸三大祭りの一つ深川八幡祭りで賑わい、辰巳芸者が行き交い、江戸市民に親しまれていた富岡八幡宮は創祀寛永4年(1627)で、紀伊国屋文左衛門が大きな御輿を寄贈したと云われています。深川に住み、富岡八幡宮に大願成就を祈願して寛政12年(1800)日本地図作成の旅に出立した伊能忠敬の旅姿の像もあります。
清澄庭園
近くに紀伊国屋文左衛門の墓があることから、一説には紀文の屋敷があったと云われています。明治以降は土佐から身を起こして、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎が所有しておりました。関東大震災で被災後、東京都に寄贈され、今では都民の憩の場となっています。
深川江戸資料館
江東区役所が現在の東陽町に移転し、跡地に深川佐賀町の町並を再現した展示室がオープンしました。江戸時代(1842年頃を想定)の長屋をはじめ、庶民の生活を実感したりして、遠く170年前の世界にタイムスリップすることが出来ます。
名所巡りにはこの他に、木材会館、木材・合板博物館、東京銘木市場、東京木材市場、東京木材埠頭が新しい名所として記載されています。
尚、17名所の他に 文化芸能について
木遣
江戸城造営に際し、徳川家康が連れて来た材木商が木場の筏師(川並)に伝えたものと云われています。水面で筏を操るのは四季を問わず厳しい作業でありました。何人かの川並が心を一つにして、リーダーが声をかけ、メンバーがそれに答える掛け合いが労働歌として定着しました。今では筏作業で歌うことはなくなりましたが、住宅の上棟式等お祝いの席で鳶の頭が音頭を取って歌うことがあります。
木場角乗
木場の筏師(川並)が水辺に浮かべた材木を鳶口ひとつで乗りこなし、筏に組む仕事の余技から発生しました。東京都の無形文化財に指定され、江東区民まつりに行うイベントで披露されます。
昔貯木場があった有明は、埋め立てられ、新しいまちづくりが進んでいますが、橋が何本か架けられ、当時の歴史を後世に残す趣旨により、木遣り橋、角乗り橋と命名された橋があります。
江東区は他にもビッグサイト、有明テニスの森に囲まれた高層マンションが林立し、ゆりかもめ、りんかい線が走り、人口は増え未来に向かって大きく変貌を遂げていくことでしょう。どんな時代になっても、遠い昔この地に住み、働らき、くらし、文化を支えて下さった祖先に感謝し、その心を子孫に伝えて行きたいものです。
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