『歴史探訪』(80)
江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎
ロンドンで開催中のオリンピックは、連日連夜の熱戦で、大半の国民が8時間の時差にも滅げずに熱い声援を送っております。
今回はオリンピックについて歴史探訪をします。東京2020オリンピック、パラリンピック招致委員会では、2020招致に向けて全国民に熱く呼びかけておりますが、東京商工会議所作成のチラシの表には、懐かしい1964東京オリンピックのドラマチックな写真(競技場の上空に航空自衛隊機のアクロバット飛行によって描かれた煙の五輪、紅白の制服姿の日本選手団の行進等)、裏には第1回、1894年アテネから第31回2016年リオデジャネイロに至るまでの開催都市が記されています。第12回1940年と13回1944年は中止となっています。このときは太平洋戦争により開催できませんでした。1940年は東京が開催予定地であったそうですが、若し日本が開催に向けて全国民一丸となって推進していれば、戦争を防ぐことが出来たかも知れないと思うと残念でなりません。第14回、1948年はロンドンで開催されましたが、1950年サンフランシスコ対日講和会議の前で、日本は参加することが叶わなかったようです。第15回、フィンランドのヘルシンキ大会で、日本は復帰を許されました。私は当時中学に入ったばかりでした。体育の先生として赴任された上迫忠夫氏が体操で銀メダルを獲得されました。テレビは未だ普及しておらず、深夜、ラジオの電波で確認しました。私は三浦半島にある臨海学校の合宿所で上迫先生の快挙を知り、生徒一同歓声を上げて喜びました。高校の体育の授業で上迫先生のお話を聞く機会がありました。ヘルシンキでもらったメダルを見せて頂き、次のような興味あるお話を賜りました。
その1、1936年ベルリン大会で日本選手が優勝したが、主催者側で掲げる日本国旗の用意がなく、急遽日本側で、若し優勝したら選手の身体を包んでやろうと、日の丸を染め抜いた大きなタオルを掲揚した。従って2、3位の国の旗よりも2倍以上も大きな国旗となり、写真に残っている。その時演奏する「君が代」の譜面が届いていなかった為、「いわおとなりて」の部分がカットされてしまった。
今回のロンドンでも、日本国家の冒頭、「君が代は」の部分が2回繰り返されるのは如何なる理由であろうか。
その2 第10回、ロサンゼルス大会に於ける棒高跳びの戦いは熾烈を極めた。1位を外国の選手が獲得、2、3位を日本の西田選手と大江選手が競うことになったが、日も暮れて競技が長引くこともあって、西田選手は2位を先輩の大江選手に譲った。後に両者は銀銅のメダルを真中から半分に切断し、継ぎ合わせ、それぞれを所有し、後年まで友情のメダルとして語り継がれている。この美談については、小学校の国語の教科書に載っており、学んだ記憶があります。
第18回は1964年東京大会です。私は24歳、社会人2年生でありました。敗戦後、二十年近く経ち、日本は廃墟の中から逞しく立ち上がり、驚異的な復興を遂げます。私は希望して某ゼネコンに入社し、道路建設、地下鉄工事等に携りしました。首都高速は環状線の一部と羽田─初台間が開通し、東海道新幹線は夢の超特急と呼ばれ、東京─新大阪間が開通したばかりでありました。カラーテレビは未だ一般家庭に普及しておらず、開会式は喫茶店に入って見ていました。会社の現場事務所が新宿の東口にあり、マラソンコースのある甲州街道は見物人の声援で溢れておりました。裸足の王者、エチオピアのアベベがローマと東京連覇を果たし、競技場に入って英国人選手に抜かれた円谷選手は惜しくも3位となり、国立競技場は興奮の坩堝と化しました。女子バレーボールの優勝は日本の悲願でもありました。大松監督は鬼と云われ、選手は東洋の魔女と云われ、『俺について来い』というタイトルで映画もつくられました。
あれから48年、世界も日本も大きく変わりました。6年後の1970年、大阪で万博が開催され、会場には岡本太郎氏が太陽の塔を建てました。来場者は日本の人口の半数以上を数えました。日本経済はGDPで米国についで二番目となりました。第22回、1980年モスクワ大会は、ソ連がアフガニスタンに侵攻した為、多くの国がボイコットをしました。その後東西冷戦が終わりを告げベルリンの壁が崩壊しました。第23回ロサンゼルス大会では、東西ドイツは統一国家となり、ベートーベン作曲交響曲第9番の歓喜の歌が統一国家の国歌となって奏でられました。
本来オリンピックは平和の祭典であるべき処、オリンピック精神にもとる開催をされたこともありました。1936年、ベルリン大会に際し、ヒトラーは聖火ランナーに兵士を使って周辺国を視察し、得た情報を分析して侵攻したと云われています。第28回アテネ大会で、ギリシャは多額の散財をし、それが素で財政が破綻したと云われています。
東京都では2016、東京招致に失敗し、スポーツ選手のように失敗をばねにして、2020招致に再挑戦しています。若し招致に成功すれば、政治も経済も停滞している状況を打開し、何かとふさぎ込んでいる国民の心に希望の火が点されるのではないでしょうか。
東京都の試算ではオリンピックがもたらす経済波及効果は、約2兆9千億円、雇用増は15万人と云われています。他にも老朽化した首都高速を改修し、江戸時代から五街道の基点と云われた日本橋に青空を回復、江戸城の天守閣を再現するのも一興ではないでしょうか。最も不安な材料は、2020年立候補都市選出にあたっての支持率が、東京47%、イスタンブール73%、マドリード78%であることです。日本選手の活躍が国中を湧かせている今こそ、支持率回復の絶好のチャンスではないでしょうか。
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