「勝鬨橋」と云う名前の橋をご存じの方は深川や本所には大勢さん居られると存じます。
そうです、隅田川を月島方面から銀座の方向に架かってる鉄橋で、「真中がハの字」に開く可動橋*です。日本全国の数ある橋の中でも、この様な形式の鉄橋は他には見当たらないと思われます。*「跳開橋」とも云う様ですが、どちらが正解なのかご存知の方は教えて下され。
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ハの字に開いた勝鬨橋 |
物の本に由ると架橋は1940年(昭和15年)で、全長は246mで中央部の52mが開いて大型船を通していたとの事であります。小生も幼少の頃に何度か見た事は有りましたが、大体が明治丸の様なハイマストの大型の帆船でした。この様な船が最盛期の1950年頃には年間で829回も通過していたとの事であります。橋の上を走っていた都電は47年に開通しており、橋を揚げた時に切り離されたレールを再び繋ぐには片側のレールの先端に仕込んだ棒状の部品が橋を閉じると、片方のレールの内側に伸びて確りと固定する方式で、レール接続の技術は特許との事であります。但し、この様な形式の橋はこれ以後は全く普及をせず使われる機会は無かったとの事でした。上を走っていた路面電車は1968年に廃止となり、橋の開閉は通行を20分もSTOPさせるので二年後に中止となっております。
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勝鬨橋を走る都電。電車の奥が中央の開閉部分。 |
小生は未だ中学生の頃でしたが、何回か木場から自転車を飛ばして見に行きました。一度などは、開閉の場所に近づき過ぎて、ゴミや砂利や芥の類いを頭の上からゴテショと浴び、泣きながら帰って来た様な馬鹿な事があり、只今それを突如として思い出した次第でご猿。
思うに今でも橋の全てが生きているなら、何かの記念日に開閉をすればかなり話題になるハズと思いますが如何なものでご猿ろうかいな?。
隅田川は約20近くの橋があります。一番海よりの下流が勝鬨橋でしたが、平成の現在は大分橋の数も増えております。
両国橋は千住大橋に続いて2番目に架橋された橋で、古く国名の武蔵と下総の境に架かったので、その名が有ります。又、隅田川の橋には同じスタイル(形)が無いのも特徴かと思います。
これから先、下流(海側)にまだ〜増えると思いますが、橋名の変遷が楽しみでもあります。
隅田川にかかる橋
名称 |
説明 |
概観 |
千住大橋 |
文禄3年(1594)
昭和2年完成
ブレーストリブ・タイドアーチ橋
昭和47年新橋 |
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白髭橋 |
大正3年(1914)
有料の木橋
昭和6年(1931)
アーチ橋
三径間ブレーストリブ・タイドアーチ橋
白髭神社が名の由来
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言問橋 |
昭和3年
ゲルバー式鋼板桁橋
アーチ橋
両岸の隅田公園をまたぐ鉄桁とコンクリートの橋
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吾妻橋 |
安永3年(1774)
昭和6年完成
上路式三連アーチ桁橋
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駒形橋 |
昭和2年
鋼アーチ橋桁橋
中央は上部に、左右は下部にアーチがある変形アーチ橋
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厩橋 |
明治7年
昭和4年完成
三径間下路式アーチ橋
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蔵前橋 |
昭和2年完成
三径間アーチ桁橋、鉄筋コンクリート跨道橋
河岸道路があるので四連アーチとなっている
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両国橋 |
万治2年(1659)
昭和7年完成
三径間ゲルバー型鋼板桁橋
大きな球状の石飾りの親柱が特長
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新大橋 |
元禄6年(1693)
昭和53年
鋼斜張橋
橋台上部の歩道部分にバルコニーがあり、休息できる
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清洲橋 |
昭和3年完成
自定式吊鋼橋
ドイツ、ライン川にかかるケルン橋をモデルとしている
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永代橋 |
元禄11年(1698)
大正15年
バランスド・アーチ橋
「帝都の門」として力強い橋が造られた
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勝鬨橋 |
明治38年
昭和15年完成
鋼版桁、鋼アーチ橋
可動橋方式であるが、
昭和55年を最後に開橋廃止となる
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出典:http://www.asahi-net.or.jp/~zr8t-iskw/bridge.htm# |