東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.154

〜歴史探訪 一人旅〜
奈良「長谷寺」と「門前町」
秋の紅葉に感動した
青木行雄

 秋の奈良は紅葉でどこの神社や寺院も真っ赤に燃えていた。京都から近鉄特急で約40分、八木駅から近鉄大阪線に乗り換え程近い所に「長谷寺駅」はあった。いかにも山村の奈良の駅らしい。駅から長谷寺に行くには少々遠いので車を利用した。

(1)「こもりくの泊瀬の山に照る月は みちかけすてふ人の常なき」
(初瀬の山に照る月は、満ちたり欠けたりすることだ。そのように人生もまた無常なことよ)
 万葉歌 作者未詳

(2)「こもりくの泊瀬の山は色づきぬ しぐれの雨は降りにけらしも」
(初瀬の山はすっかり色づいたことだ。しぐれの雨が降ったに違いない。)
 万葉歌 大伴坂上郎女

◎この「こもりく」は隠国・隠口のことでこの万葉集にみられる「泊瀬」の枕詞と言い、「こもり」は隠れ籠るの意があり、「く」は国の意、「泊瀬の国」や「隠口」は「霊魂の隠れ行く土地への入口」を意味したなどの伝説があるらしい。

※境内の景色は絶景と言える。この先に五重塔があって、すばらしい散歩道である
※仁王門、長谷寺の入口の門で1885年(明治18年)の再建であるが、どっしりとした長谷寺を象徴する建造物ですばらしい。
※下登廊は重要文化財である。一番下の廊で石段が5〜6cm位の低い石段である。
※上廊でこの上に本堂がデーンと建っている。この石段は15cmぐらいあり、ちょっとしんどい。石段は399段ある。
※中廊と上廊の間にあって人の心を慰める歌である。一休の所にあった。
※紅葉に染まる長谷寺の五重塔は写真よりはるかに紅葉も塔も美しかった。
※本堂である。側面から写した写真だが、かなり大きな建物で、間口9間×5間あり国宝である。
※京都の「清水寺」に似た床、舞台造りの上に本尊を安置する正堂、相の間、礼堂からなる巨大な建築物である。
※中登廊の右側に見える「ぼたん」畑、今は枯枝だけだが、春にはみごとなぼたん花が咲く。
※本堂から見た山なみ、みごとな紅葉を見ることが出来た。
※初瀬川の両側に旅館や食事処が立並び、昔の面影を今に伝えている。温泉町のごとき風情があって、昔の「いろ町」時代の名残も残る町です。
※白髪の美女のいる酒屋。別の所に蔵があり、杉玉がさがっているが酒蔵でもある。地酒の原酒「こもりくの里」お徳用900ml詰は度数21.0、信楽焼きの壷入りもある。時代を風靡した町だけに酒屋が多かったが、今は3軒。がんばっていると言う。
 

 初瀬の町並が続く中で一軒の酒屋を尋ね、町の様子や歴史を聞いた。白髪で昔芸者風のきれいなおかみさんに会った。他県から嫁に来たと言うが、地元のことに詳しい。
 ここの住所は初瀬町、古事記や日本書紀には「泊瀬」と言ったが、なかの「つ」が消えて「長谷」となり、「初瀬」と地名が変わったと言う。現在は駅と寺に「長谷」の名が残るのみと言う。
 門前町のおもしろい話は後にして「長谷寺」について先に記して見たい。

 奈良の「長谷寺」と言えば一般的に「ぼたん」が有名で石階段が多くある寺とされている。
 前にも何回か行った事があるが、季節により変化があって、新しい発見がたくさんあった。
 まず歴史について、寺史より。
 長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されているらしいが、創建の詳しい時期や事情は不明と言う。寺伝によれば、天武朝の686年(朱鳥元年)、僧の道明が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて727年(神亀4年)、僧の徳道が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したというが、これらのことは正史にはなく、伝承内のことらしい。847年(承和14年)12月21日に定額寺に列せられ、858年(天安2年)5月10日に三綱が置かれたことが記され、長谷寺もこの時期に官寺と認定されて別当が設置されたとみられている。870年(貞観12年)に諸寺の別当・三綱は太政官の解由(審査)の対象になることが定められ、長谷寺も他の官寺とともに朝廷(太政官)の統制下に置かれた。それを裏付けるように10世紀以降の長谷寺再建に際しては諸国に対しては国宛を、諸寺に対しては落慶供養参加を命じられるなど、国家的事業として位置づけられていたと言う。

 長谷寺は平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めている。1024年(万寿元年)には藤原道長が参詣しており、中世以降は武士や庶民にも信仰を広めたようだ。

 長谷寺は大昔、東大寺の末寺であったが、平安時代中期には興福寺の末寺となり、16世紀以降は興教大師によって興された僧正頼瑜により成道した新義真言宗の流れをくむ寺院となっている。1588年(天正16年)豊臣秀吉により根来寺を追われた新義真言宗門徒が入山し、同派の僧正専誉により現在の真言宗豊山派が大成された。近年は、子弟教育・僧侶(教師)の育成に力を入れており、学問寺としての性格を強めていると言う。

 十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る院は鎌倉の長谷寺をはじめ日本各地に多く、240寺程存在すると言う。他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することがあるようだ。

伽藍
 初瀬山の山麓から中腹にかけて伽藍が広がる。入口の仁王門から本堂まで、399段の登廊(屋根付の階段)を登る。登廊は上、中、下の3廊が折れて登るが最初の石段は5〜6pぐらいの低い段で登りやすいがだんだん高くなり、3廊目の上廊は15pぐらいに段が高くなりちょっとしんどい、399段目に本堂へ到着である。
 本堂の西方の丘には「本長谷寺」と称する一画があり、このあたりが紅葉の見どころで燃えていた。五重塔もあって、国宝の本堂が中央にデーンと建っている。
 仁王門、下登廊、繋屋、中登廊、蔵王堂、上登廊、三百余社(小さな社)、鐘楼、繋廊が重要文化財に指定されている。
 登廊は下、中、上廊からなり、中廊の中程右側の石段に小さな穴がある。これを「牛の目」と言い、「踏んではならない」と言われていると言う。これは、登廊の石段の建設の時に、牛に重い石を引っ張らせて運搬したので、牛に感謝すると共に供養の意味を表していると言う。注意しないと見落としてしまう。
 この内、本堂は1650年(慶安3年)の竣工で、蔵王堂、上登廊、三百余社、鐘楼、繋廊も同じ時期の建立である。仁王門、下登廊、繋屋、中登廊の4棟は1882年(明治15年)の火災焼失後の再建と言うが、江戸時代建立の堂守とともに、境内の歴史的景観を構成するものとして重要文化財に指定されている。
 仁王門は1885年(明治18年)、下登廊、繋屋、中登廊は1889年(明治22年)の再建と言う。

 本堂は本尊を安置する正堂、相の間、礼堂から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造(舞台造)になっている。京都よりちょっと規模は小さいがそれでも迫力はある。この本堂は奈良時代の創建後、室町時代の1536年(天文5年)までに計7回焼失したと言う。7回目の焼失後、本尊十一面観音像は1538年(天正7年)に再興される(現存は8代目)本堂は豊臣秀長の援助で再建に着手し、1588年(天正16年)に新しい堂が竣工された。その後更に建替えられたものと言う。
 現存の本堂は、徳川家光の寄進を得て、1645年(正保2年)から工事に取り掛かり、5年後の1650年(慶安3年)に完成したと言うから、今から約360年前に建っている。もちろん木造で、全体の大きさは、間口9間×5間、この本堂、近世前半の大規模本堂の代表作として、2004年12月、国宝に指定された。
 今は葉もない小さな枯木のような「ぼたん」は、登廊の途中等に何千本?かあって、4月中旬から最盛期になり、みごとな花が見られる。

 私の行った時は秋の紅葉の最盛期で全山燃えるような紅葉に圧倒されたが、ここは四季を通じて賑わうと言う。

 先程登場の酒屋のおかみさんの話を続けよう。この門前町での昔のことを・・・。
 昔、大阪、京都の人達は一生に一度この伊勢街道を通り、お伊勢参りを夢見ていたと言う。豪遊もあったのだろうか、この初瀬の町が夕方になり、行きも帰りも丁度、泊地になったとこの白髪のおかみさんは話す。
 また長谷寺を正面に見える峠があって、伊勢、松阪方面から伊勢街道を巡り、又奈良方面より泊瀬を経由して伊勢、松阪方面へ旅される人々がこの峠の茶屋で一休み、来る人は、お参りに備え、行く人は、道中の安全を願い身支度された所から「化粧坂」と言う所もある。こんな事から裏をかえせば、この泊瀬の町は大変な「いろ町」でもあったと話は続く。このおかみさん、昔旅館もやっていたので芸事は出来るし、客の相手もしていたらしいが、なかなかのベッピンさんであった。小柄だが目鼻はきりっとしまり、話し上手で、字も絵も上手い。
 この町には、花街もあってそのままの旅館が数十軒残っていた。近くに桜井と言う木材の町があって、昔は景気が良く、良く遊びに来てくれた。あの頃は毎夜賑やかで大変だったと思い出話も話してくれた。昔のままの面影のある旅館にも行って見たが、殆どが食事処も兼ねており、その一軒で松茸料理を賞味した。

 この門前町がいかに繁盛したかを物語ることが他にもあった。それは「長谷軽便鉄道」である。1909年(明治42年)、木材の町桜井から初瀬間の5.6qを19分で結ぶ、「初瀬軌道」と言う鉄道が開業した。
 1912年(明治45年)「初瀬軽便鉄道」と商号変更して1915年(大正4年)に「長谷軽便鉄道」となり、1928年(昭和3年)「大阪電気軌道」通称(大軌長谷線)と変更したが1938年(昭和13年)廃線となっている。この間1920年(大正9年)頃は大変な人気で85万人の利用者がいたと言うから、長谷寺も、桜井の木材業界もいかに繁盛していたかが伺える昔話である。

 とにかく、長谷寺、門前町、「隠口の里」泊瀬は、四季共にすばらしい場所と言える。季節ごとに違う表情を醸し出し、伽藍や周囲の美しさを引き立てている。
 長谷寺は「花の御寺」という名が付けられており、春は桜にぼたん、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は寒ぼたん・・・一年を通して花々が境内にみごと彩りを添え、色とりどりの美しさを見せてくれる美しく歴史のある長谷寺である。感動した。

 
本尊十一面観音菩薩立像
木造 像高 1,018.0cm
重要文化財 室町時代 本堂

平成24年12月9日 記


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