東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.161

〜歴史探訪 一人旅〜
富士山「世界遺産」に登録決定
平成25年(2013年)6月22日(土曜日)

おめでとうございます「富士山」殿
青木行雄

 

 平成25年6月22日、日本時間午後4時30分頃カンボジアのプノンペンで開かれたユネスコの世界遺産委員会で「富士山」(山梨・静岡両県)を世界文化遺産に登録することを決めた。
 含まれるかどうか心配されていた「三保松原」(静岡市)も、世界遺産委員会で世界遺産に登録された。すばらしい事である。
 日本のシンボルである「富士山」の登録で、国内の文化遺産は13件になり、自然遺産と合わせた日本の世界遺産は17件となった。
 名称は、文化遺産としての性格がよりわかるよう、推薦時の「富士山」から「富士山─信仰の対象と芸術の源泉」と変更されたと言う。
 この「三保松原」を入れるかどうかについて意見が大分別れたようである。
 万葉の昔から文学や絵画に描かれた「羽衣伝説」で天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」として親しまれて来た。地元では「景観や歴史、伝統を絶やしたくない」と保存活動を宿命と感じ、NPOを設立して、松枯れ予防や土壌改良に努力していると聞く。東日本大震災では陸前高田の7万本の松の木が津波で1本が残り大変話題になったが、この三保松原は駿河湾に延びる約7qの海岸線に現在約5万本のクロマツが生い茂っていると言う。
 日本中で松枯れの進行が進んでいる中、この三保松原も例外ではない。また「景観を汚す」と指摘された消波ブロックも対策が急務である。
 100年、200年後の子供たちにきれいな松原を残したい。松を元の美しい姿に戻したら、天女も安心して戻ってきてくれると一生懸命である。登録された事により新たな問題や心配も山積みであるようだ。東海地震が心配される中、津波の問題や松枯れや消波ブロックの景観の件などもこれからが本番といえる。
 夏山の季節も入れて年間30万人以上が登ると言う「富士山」。以前問題になったのは、登山者のマナーの悪さが指摘されたとも言われているが、環境保護上過剰との批判が絶えないと言う。
 登山者の6割を占める山梨県側の吉田口登山道はご来光を見ようと登山者が山頂近くで渋滞するらしく、急いで登山道以外の岩場を登ろうとする人々もかなりいるようだ。山梨県などは今夏登山道の誘導員を例年の最大3倍まで増やし、登山者の安全や指導にあたるようである。来夏以降は「入山規制」も検討するらしい。
 一方静岡県は、遭難者が増えているため、夏場以外の登山の「自粛」を呼びかける「富士山ガイドライン」をまとめようと、山梨県側と協議中である。
 「入山料」は今夏、試験的に千円を10日間程度徴収することが決った。ただ使途は決っていないらしく、意見もいろいろなようである。
 周辺の各地で、登録が決った後、祝いの行事が行なわれ、大変盛り上っていた。私も22日当日御殿場まで足を運んで見たが、いつもよりはるかに多い人出であった。
 安倍晋三首相は22日夜東京都内で記者会見があって「富士山は日本の誇り、日本人の心のよりどころでもあるから、本当にうれしい。ぜひ世界中からたくさんのみなさんに富士山を見に来ていただきたい」と話した。
 この22日、御殿場に安倍晋三の祖父に当たる「岸信介」元首相の旧自邸を見学して来た。この「東山旧岸邸」は1970年(昭和45年)岸元首相が73歳のときここへ転居、晩年の17年間を過ごしたと言う。この旧自邸(御殿場)から見える富士山が世界遺産になることを望んでいたかも知れないと思いながら「東山旧岸邸」を見学した。
 1700坪もある敷地に170坪もある邸宅が木造で御殿場の森の中に静かに佇んでいてありし日の岸元首相の面影を忍ばせていた。

富士山世界遺産登録への経緯
1992年(平成4年)  

世界遺産条約が国会で批准
自然遺産登録を目指す市民運動が始まる

2003年(平成15年) 5月 世界自然遺産の推薦運動対象から外れる
2005年(平成17年) 12月 静岡県や山梨県など関係自治体が「富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議」を発足
2005年(平成17年) 12月 世界文化遺産の候補としてユネスコの暫定リストに登載
2012年(平成24年) 1月 政府がユネスコに推薦書を提出
8月〜9月 国際記念物遺跡会議(イコモス)の現地調査が行われる。
2013年(平成25年) 4月30日 イコモスが登録を勧告。「三保松原」は除外を求めた。
6月22日 世界遺産委員会で登録決定
第37回世界遺産委員会で富士山の世界文化遺産登録が決定

世界遺産(ユネスコ)について
 国連教育科学文化機関の世界遺産条約に基づき、人類の共有の財産として登録された遺産。歴史的建造物や遺跡といった文化遺産、貴重な生態系などの自然遺産、両方の要素を持つ複合遺産の3種類ある。文化遺産は各国政府の推薦に基づき現地調査をした国際記念物遺跡会議(イコモス)の勧告を踏まえ、ユネスコ世界遺産委員会が登録の可否を決める。
 登録数は昭和47年(1972年)の条約採択後、今回の委員会開幕前の時点。

文化遺産 745件
自然遺産 188件
複合遺産 29件
962件 である。

このうち日本の遺産は今回(富士山)も入れて

文化遺産 13件
自然遺産 4件
17件

日本の世界遺産17件を登録順に記す。

@1993年(平成5年) 姫路城(兵庫)
@1993年(平成5年) 法隆寺地域の仏教建造物(奈良)
@1993年(平成5年) 白神山地(青森・秋田)
@1993年(平成5年) 屋久島(鹿児島)
D1994年(平成6年) 古都京都の文化財(京都・滋賀)
E1995年(平成7年) 白川郷・五箇山の合掌造り集落(岐阜・富山)
F1996年(平成8年) 厳島神社(広島)
F1996年(平成8年) 原爆ドーム(広島)
H1998年(平成10年) 古都奈良の文化財(奈良)
I1999年(平成11年) 日光の社寺(栃木)
J2000年(平成12年) 琉球王国のグスク及び関連遺産群(沖縄)
K2004年(平成16年) 紀伊山地の霊場と参詣道(三重・奈良・和歌山)
L2005年(平成17年) 知床(北海道)
M2007年(平成19年) 石見銀山遺跡とその文化的景観(島根)
N2011年(平成23年) 平泉─仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群(岩手)
N2011年(平成23年) 小笠原諸島(東京)
P2013年(平成25年) 富士山─信仰の体操と芸術の源泉(山梨・静岡)

平成25年「富士山」までの登録地名、場所を記した。

 富士山に続く、日本では現在、暫定リストに別記の12候補が掲載されている。
 1992年(平成4年)にリスト入りした彦根城(滋賀県)をはじめ、飛鳥・藤原の宮都(奈良県)や国立西洋美術館(東京都)、佐渡鉱山の遺跡群(新潟県)などが入っている。
 候補の一つ、武家の古都・鎌倉(神奈川県)について、ユネスコの諮問機関は平成25年4月、「普遍的価値を証明できていない」「都市化されていることの影響を無視できない」として不登録を勧告した。日本政府は今回のユネスコへの推薦を見送ったと言う。神奈川県や鎌倉市などは構想を練り直し再挑戦する方針のようである。
 別記に候補のうち、政府がユネスコに正式推薦しているのは「富岡製糸場と絹産業遺産群」で今年(平成25年)1月に推薦され、今後ユネスコ諮問機関の現地調査を受けることになる。
 富岡製糸場は明治政府の殖産興業政策で設立された官営工場である。
 群馬県は「日本の近代化、産業発展の歴史を物語る文化遺産で、保存状況も良好」としてアピールする方針である。
 世界の著名な遺産の登録はかなり進んでおり、ユネスコは昨年2012年(平成24年)に文化遺産の推薦数を1国2件から、1件に減らすなど、審査を厳しくしていると言う。

国内の世界遺産候補の暫定リスト
 (いずれも文化遺産)下記の通り

武家の古都・鎌倉(神奈川県)
彦根城(滋賀)
富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県)
飛鳥・藤原の宮都と関連資産群(奈良)
長崎の教会群とキリスト教関連遺産(長崎)
国立西洋美術館・本館(東京)
北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群(北海道・青森・岩手・秋田)
九州・山口の近代化産業遺産群(福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・山口)
宗像・沖ノ島と関連遺産群(福岡)
金を中心とする佐渡鉱山の遺産群(新潟)
百舌鳥・古市古墳群(大阪)
平泉─仏国土を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群(岩手)=2012年8月23日拡張登録

 富士山世界遺産登録は自然遺産でなく文化遺産登録である。それだけ自然と言うより、文化色の濃い要素がいっぱいあるからだ。「富士山」構成資産の中心をなすのが、主に標高1500メートル以上の「富士山域」。これには、山頂の信仰遺跡群や吉田口、須走口など4つの登山道、本栖湖や西湖などが含まれると言う。このほか、浅間(せんげん)神社の総本宮「富士山本宮浅間(せんげん)大社」(静岡県富士宮市)や江戸時代、庶民の参拝登山で隆盛を誇った「富士講」信者を泊めた御師(おし)住宅(共に山梨県富士吉田市)富士講の開祖・長谷川角行(かくぎょう)が修行したと伝えられる溶岩洞穴「人穴富士講遺跡」(富士宮市)と白糸ノ滝(同)富士山の伏流水による8つの湧水池で巡礼地とされた「忍野八海」(山梨県忍野村)などで構成されると言う。
 この「登録が決まった富士山の25の構成資産」を見ると、本宮浅間(せんげん)大社を含めて、浅間神社が8社もある。富士山は古来より山岳信仰の対象とされていることがよくわかる。
 この「富士山」は世界遺産になったが、8合目から上は「富士山本宮浅間大社」の所有地であることはあまり知られていない。
 この富士山山頂部の持ち主の変遷は争いの歴史があったようだ。江戸期の初めまで駿河と甲斐の国の争いで両方一歩も譲らず、徳川家康の裁定により浅間(せん げん)大社に与えられたと言う。そして明治維新で国の所有となったが今度は国と浅間大社の間で裁判が始まる。そして1974年(昭和49年)に最高裁判決が出てからやっと元のこの「富士山本宮浅間大社」におちついた。この浅間大社の庭内に所有の記念碑が建っている。
 この富士山の世界遺産登録は、日本を象徴する山が「世界の宝」として認められただけでなく、今後はその価値を損なわずに後世に伝える責務を負ったと言うことだ。
 私は5度挑戦し、2度程頂上まで登ることが出来た。人生で一度は登っておきたい日本を象徴する「日本一の富士山」である。

参考資料
「日経新聞」
「産経新聞」
「朝日新聞」
『日本の歴史』

平成25年6月2日記

三保の松原 三保海岸から見た富士山

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