東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.164

〜歴史探訪 一人旅〜
東京都港区三田「綱町三井倶楽部」について
青木行雄

 

※西洋庭園の大盃型噴水から見た本館の様子。大正2年創立。
※本館から写した。西洋庭園の大盃型噴水。みごとな景観であった。
※宴会場の風景。西洋式の天井に大型のカーテン。どれを見ても豪華な内装である。
※内装の窓の外側にまたまた豪華な客間が用意されている。立食パーティーも出来る雰囲気は最高の場所と言える。
※玄関を入るとシンプルではあるが豪華な応接間。雰囲気も大変良い。
※2階に上る階段。赤絨毯の段板も手摺も豪華な造作である。

 「都心とは思えない静寂な環境、古き良き時代から受け継がれた伝統が脈々と息づく『綱町三井倶楽部』まさに『迎賓館』の名にふさわしい風格ある社交場になっております」
 この営業パンフにはこのような内容のことが見出しに書かれているが、確かに港区三田にこんなすばらしい場所があるとは一般の人には気がつかないと思う。
 場所は東京メトロ南北線・大江戸線麻布十番駅又はJR山手線・京浜東北線の田町駅より徒歩15分ぐらいの所にある。


 緑豊かな庭園を背景に優雅な佇まいを見せるこの綱町三井倶楽部本館は、三井家の迎賓館として鹿鳴館の設計者として知られる「ジョサイア・コンドル博士」の設計によって建てられたすばらしい館である。


 この三井倶楽部の歴史を追って見ると竣工は1913年(大正2年)12月。同12年の関東大震災の際に受けた損傷を1929年(昭和4年)にその原型を崩すことなく改修工事を施したと言う。その後幸にも第2次大戦の戦禍を免れ、戦後1945年(昭和20年)には米軍により「米軍将校クラブ」として使用されていたが、1953年(昭和28年)の返還後は復旧整備を施し三井グループ企業による会員制倶楽部として再生し今日に至っている。現在はわが国の明治、大正建築史上貴重な建造物としてまた西洋建築の傑作として注目されていると言う。
 次にこの「綱町三井倶楽部」の建物について記してみたい。
 当倶楽部本館は、西洋建築史に名を残す傑作としてこの業界では知られている建物と言う。手掛けたのは先にも記したが、鹿鳴館の設計者でもある「ジョサイア・コンドル博士」である。ルネサンス様式を基調とした宮殿造りの館は、ベランダの張り出しはバロック、中央ドームの吹き抜けはビザンチンと様々な建築様式が見事に調和。またコンドル博士が外観とのバランスを考えて設計した。本館前に広がる純英国風の西洋庭園も心潤す美しさである。


 正面入った処の1・2階吹き抜けホールとステンドグラスをはめたドーム天井、階段の構成や各室の優雅な室内装飾等に見るべきものが多く、ジョサイア・コンドル博士の後期作品の中でも傑出したものと言われている。


 ジョサイア・コンドル博士について述べてみたい。
 ジョサイア・コンドルは1852年(嘉永5年)9月28日にロンドンのケンジントン区に生まれる。
 コンドルはお雇い外国人として来日し、政府関連の建物の設計を手がけた。また工部大学校(現・東京大学工学部建築学科)の教授として辰野金吾ら、創成期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた。
 後に民間で建築設計事務所を開設し、財界関係者らの邸宅を数多く設計した。河鍋暁斎に師事して日本画を学び、趣味に生きた人でもあった。
「コンドル」はオランダ風の読み方で「コンダー」の方が英語に近いと言うが、一般的には「コンドル先生」で通っていたと言う。


 コンドルは明治以降の日本建築界にあたえた影響は大きく、工部大学校での名をなした生徒も多い。


片山東熊-第1期生 辰野金吾-第1期生 曽禰達蔵-第1期生
渡辺譲一-第2期生 久留正道-第3期生 河合浩蔵-第4期生
新家孝正-第4期生 滝 大吉-第5期 他多数

※綱町三井倶楽部の綱町の名稱がこんな所から付けられた。
※庭園内にこんな所があった。歴史探訪にはこんな所に思いが深まる。
 この時代この人達が日本の建築界をリードした。
 この綱町三井倶楽部の庭園には西洋庭園と日本庭園がある。
 大盃型噴水を中心に配した純英国式西洋庭園は建物とのバランスを配慮したルネッサンス風幾何学式庭園で建物に対して左右対称に設計されている。この庭園の設計はもちろん建物と同じコンドル博士によるものと言う。
 そして見事と言うべきは約6000坪あると言うが、日本庭園に見る魅力をすべて作り出している。石燈篭、巨大景石。庭園各種の樹木は梅、桜に始まりつつじ、藤、そして秋の紅葉、黄金に光る銀杏に至る迄、四季折々の景観はすばらしいと聞く。


 庭園内に井戸を見つけたが立て看板にこんな事が書いてあった。
 「伝説」網ノ井戸
 京都羅生門の鬼退治で勇名を馳せた四天王の一人「渡辺ノ綱」この地に産まれ産湯をつかった井戸と伝えられている。
 綱町三井倶楽部の「綱町」の名稱はこの網より起る
 江戸時代中期より綱町であったが地域名稱変更に伴い現在は三田二丁目と改稱されている。


 この広大な敷地の9割が庭園という都会のオアシス。東京三田の高台にある。会員制倶楽部なので、誰でも入れる訳にはいかないが、大手企業29社が所属しているので、繋がりは出来ると思う。
 歴史的建物であり、日本の宝物でもあるこの「綱町三井倶楽部」は三井グループの所有ではあるが、日本の貴重な財産でもある。





ジョサイア・コンドル博士像
(東京大学構内)

平成25年9月29日記


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