東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(86)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」
 これは、阿倍仲麻呂が遣唐使として唐に渡り、官吏として働き、終生日本に帰ることなく骨を埋めるのですが、それでも日本の方向に月が昇るのを眺めて故国を懐かしんで詠んだ和歌であります。
 十年以上前から、当社に耐震技術の指導をしてくださったA氏の年賀状に冒頭の和歌がありました。当時は中国から文化をとり入れ、彼の地に骨を埋めるほど心酔した人物が出るくらいに、日本と中国は緊密な友好関係でありました。にも拘らず、現在は険悪な状態にあることを嘆き、なんとかならないものかと心を痛めておられることが一枚のはがきに連綿と綴られておりました。
 素晴らしい年賀状を拝見し、A氏の爪の垢でも煎じて飲み度い心境でありましたが、そのA氏に当社の近くでばったりお会いしました。A氏は出向元に戻り、定年を迎えて某企業の顧問としてグローバルな活躍をされておりました。海外の工事を受注し、資源の開発、輸入の為、人質事件が起きたアルジェリアにも出掛け、危険も顧みずに飛び廻っていることを後で知りました。CMAJ((社)日本コンストラクションマネージメント協会)の機関誌に定期的に投稿しておられ、昨年11月号のコピーを頂きました。
 今回は先月号で述べた『逝きし世の面影』についての後半の読後感と合わせ、日本と諸外国との関わりについて歴史探訪します。
 A氏投稿のテーマは「初めて太平洋を横断した日本人 田中勝介」でありました。
 江戸時代の初期、1609年、メキシコ(スペイン領)に向かう総督ドン・ロドリゴ等373名が乗るサン・フランシスコ号が嵐に遭い、千葉県御宿町近くの海岸で座礁しました。大多喜城主本多忠朝が報告を受け、家臣に命じて異国の遭難民を救助しました。浜で働いていた大勢の海女達も冷えた身体を抱いて温め蘇生させました。ドン・ロドリゴは二代将軍秀忠へ救助御礼のため江戸へ出向き、駿河に隠棲していた家康に謁見し、以後交流が始まります。ロドリゴ帰国に際しては三浦按針の指導で建造した船を準備し、メキシコへ帰りますが、日本人使節23人も便乗し、その使節の長が京都の商人田中勝介でありました。
 ロドリゴは、江戸市街は「水多き川が流れ、その川は分岐して市街を巡り、食糧等の運搬に利用されている。家屋の内部の美しさ、さらに街路は清潔であり、町は職業別に区画され、木戸が設けられている。」と記述しております。
 『逝きし世の面影』第11章 風景とコスモスで幕末から明治にかけて渡来した欧米人達も、日本の街や山野の美しさについて誉めちぎっております。スイス領事リンダウの記述は、「江戸は庭園の町である。それはどこまで行っても際限のない、海に洗われ、大きな川に横切られ、別荘で飾られた町である。いくつかの界隈には、規則的な通りを作っている家々の途切れることのない連続が見られる。しかし、目を移すたびごとに、寺院や屋敷が町並みの統一性を壊しにやってきて、江戸を世界で最も個性的なものにし、初めて見た時、旅行者に最も強く、最も心地よい驚きを生み出させるあの特異な様相を作り出しているのである。」とあります。
 田中勝介は太平洋を横断し、朱印貿易家として日本とメキシコの交流に多大の貢献をし、1611年に帰国しました。しかし、その後の歴史書には一切記載されておらず、再登場するのは400年後になります。2012年5月、大英博物館の調査により、勝介がスペイン国王から家康に贈られ持ち帰った時計が久能山東照宮に所蔵されていたことが判明しました。A氏の見解によりますと、田中勝介が歴史の表舞台から抹殺されていたのは、メキシコでキリスト教の洗礼を受けて帰国し、3年後キリスト教禁教令を幕府が発布した為であるとのことで、改めてA氏の慧眼に感服した次第であります。
 『逝きし世の面影』では多くの渡来人が著した文献が登場します。邦語に翻訳された著作は実に150冊以上ありますが、膨大な量の書籍を読んで解明された渡辺京二氏のエネルギーたるや偉大の一語に尽きます。その中で私が読んだ唯一の著作は、バード氏の『日本興地紀行』(東洋文庫 1973年)であります。私が未だ50代の頃、街道歩きに凝っておりましたが、知人に教えられ、丸善で購入しました。
 バード氏は英国生まれの女流旅行作家でありました。幼少の砌は病弱でありましたが、健康の為に旅行を始め、各地を歩くうちに、次第に強靭な身体と不撓不屈の探究心が身に付き、明治の初期に来日しました。横浜に上陸し、馬と青年を雇い、北海道まで足を伸ばし、帰国して体験記を著しますと、それがベストセラーになりました。
 他にも、クラーク『日本滞在記』(講談社 1992年)、シュリーマン『日本中国旅行記』(雄松堂出版 1982年)等興味深い著作が多数あることを知りました。近い将来、自分の足で旅行出来なくなっても、老後の楽しみは無限にあることを発見しました。
 次回は、東海道ネットワークの例会で「熱田宮宿から脇往還佐屋路を楽しみ桑名へ」を1泊2日で巡り歴史探訪します。




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