東京木材問屋協同組合


文苑 随想

「温故知新」 其の14

花 筏


〜木場歳時記〜

其の三 大晦日(おおみそか)

 同じ字句にて「おおつごもり」とも読むが、どちらが正しいのか定かでは無いとの事。樋口一葉女史にでも聞いて見たいものである。晦日→月の30日目の日の事、つごもり→月隠(ツキゴモリ)から転じた言葉、と言うが今度はこれが判らない。とにかく、一年の内で一番最後の日であり日本ではかなり意義のある特殊な部類に入る日であるが、英語ではニュー・イヤーズ・イブ(New Year's Eve)となりクリスマス・イブと同じ感覚で明日に期待をするという。力点の置き方からして前向き思考の強い使い方で、同じ一年の最終日の365日目でも国によってかなりニュアンスが違う。
 材木屋の大晦日も昨今は大きく変身してタダの休日と化したが、ついこの間までは、…と言っても40年程前だが、一年の内でもかなり重要な日であった。即ち、商人(アキンド)としては、この日の内に銭(ゼニ・カネ)の決着を付けぬと、新しい年が来ないと本気で思っていたものである。まだ当時は、江戸の名残の盆・暮れ勘定が大分残っていて、特に地方では普段は「有る時払いの催促無し」の店も多かった為、年度末の掛け取りに鎬(シノギ)を削りかなり難儀した。実際、落語そのままと言う光景にも時にはぶつかった。小生の受持ちであった所沢方面のお客も普段はとても話し好きで温厚で良い人なのだが、何分にも「西武園」…今でこそライオンズだが、当時は自転車(けいりん)が近いので師走に入るとツイ、フラフラと少ないお金(おアシ)を増やしに行く。
 良く当る様な事を言うのだが、結果は当然おアシの逃げ足の方が早い。朝行って留守、昼過ぎに行っても誰も居ない、とうとう夜も更け一番最後に回ったら、それ迄詰めていた他店の若い衆も諦めて舌打ちしながら帰って行き、とうとう1人残りとなって奥さんも番頭も気の毒がるのだが、ただそれだけ。話も無くなりシーンと静かになった、その時かすかに押し入れの中よりイビキが聞こえて来た。それが段々と大きくなって、間違い無し!、力一杯押し入れの唐紙を開けると、ご本人様バランスが崩れてコロガリ出てお互いビックリ、それなりに幾許(いくばく)かは回収に成ったこともある。
 また同じく、何回行っても留守。又、留守。最後に大声で「しょうがねぇなあー、来年、又来るかー」と言い乍ら店の内側に居て表の引戸をパシーンと閉めたら、ややあって、奥の襖がソロソロと開き御本人と目が合った。こうなればシメタもので大概は回収になる。仕入先の全部に払うのは無理だが何軒か払えぬ訳では無いのである。この時もお陰様で全額を頂戴する事が出来た。
 何故事程左様に大晦日の「掛け取り」を頑張るかと申せば、事情は多々あるのだが、「盆・暮れ勘定」と言うのは、年に盆と暮れの2回はキッチリと精算するのが不文律で、その間は有る時払いの催促無しが原則の為、ここで取りっぱぐれると半年先の旧盆までオゼゼにはならない。その点では相手も必死である。
 勿論、当時でも約束手形が無かった訳では無い。街の文具屋にはコクヨ製の約手用紙がちゃんと売られて居たのだが、不思議と当時は約手よりは「貸し!」として売掛に残して置くという考え方の問屋の方が多い様に思われた。其れだけ余裕が有ったのであろう。又、小切手の使用もあまり多く無く、とにもかくにも、かなりの金額でも、キャッシュ全盛で毎月の集金ではかなりカバンが膨らんだ。誠に夢の様な時代でござんした。
 大晦日の掛け取りは、何の支障が無く終わっても大抵は午前様、何10キロも自転車を飛ばして帰って来ると、まだコウコウと明かりがつき、イスや机を外に出してタタキに水を打ち最後の掃除の真最中。その間に1人、2人と帰社して集金の結果を整理し提出、終わって風呂、全員あがると、オヤジの一年間の総括、これが長い。ようやく終わると、ソバ屋が見計らった様に「ヘイー、お待ち!」と年越しソバを肩に現れる。誠にジャスト・タイミング。ソバを掻き込み始めると、「今晩はー」と銀行員。「ヨオー、ソバ食わんか」と一緒に食べ、若い衆は初詣へ。

 
 

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