東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.175

〜歴史探訪 一人旅〜
東京の中心 日比谷公園
「松本楼」の歴史
青木行雄

 「松本楼」と言えば、日比谷公園の森の中にあって、特に10円カレーが有名である。1973年(昭和48年)以来毎年9月25日の一日、先着1,500名に限りハイカラカレーが10円にて販売されている。それは何故か。理由は下記の通りである。
 1971年(昭和46年)に松本楼が2度目の焼失に見舞われた。その際、当館の警備員1人が犠牲になるなどの被害もあった。「松本楼」の歴史は後ほど詳しく記す。歴史あるレストランが焼失したことを知り、全国から再建の願いが集まり、3代目「松本楼」がオープンした。店側はこれに感謝の意を示す記念行事として「10円カレーチャリティ」を始めたと言う。現在も毎年この日には大勢の来客があり、度々ニュースでも取り上げられている。この売上は交通遺児やユニセフ協会、震災の義援金などに寄付されていると言う。10円カレーの経緯はそんな理由であった。
 それではこの日比谷「松本楼」の歴史について記してみる。
 1903年(明治36年)我が国初の洋式公園を東京市が現在の日比谷公園に開園した。その時、銀座で食堂を経営していた小坂梅吉が落札し、開園と同時に「日比谷松本楼」は6月1日にオープンした。
 当時としては珍しい洋風レストランに人気が集まり、1906年(明治39年)秋には東京料理店番付で西の関脇に押し上げられたと言うからかなり有名になったのだろう。
 その当時、洒落たお店は大評判で「松本楼でカレーを食べてコーヒーを飲む…」がハイカラ。流行語までになったようだ。
 明治時代の文芸活動「パンの会」第1回会合が松本楼で開かれ、若き詩人や美術家などが集まった。
 その後、日比谷公園が度々、政治活動の舞台となり、日比谷焼打事件などに巻き込まれた。そして1923年(大正12年)9月1日発生の関東大震災により松本楼も焼失する。関東大震災による被害は死者不明14万2807人、全壊焼失57万5394戸と記されている。

※1階レストランのメニュー。いろいろあるが洋風である。9月25日、カレーが10円で1500食販売されると言う。

※日比谷公園の案内地図。このド真ん中に松本楼はあった。周辺はビルに囲まれ、公園は近くのサラリーマンの昼の憩いの場所である。

※公園の中の風景。この奥に小さく見えるのが松本楼。都会の人々には最高の憩いの場所である。平日には近くのサラリーマンでいっぱいと言う。

※このピアノは、日本楽器製造(株)(ヤマハの前身)1907年製造で、国産最古のものの一つである。一階ロビーに展示してある。

※松本楼の玄関脇にある大木にかかる看板。昼の様子である。

 松本楼は、その後バラック住宅から復活し、これを機に小坂光雄が2代目社長となる。
 初代の梅吉はその後1936年(昭和11年)に貴族院議員に当選している。その後、太平洋戦争に突入するまで、引き続き人気のあるレストランとして日比谷公園の顔になったと言う。
 しかし、1942年(昭和17年)に東京に空襲が始まると日比谷公園が軍の陣地となり、1945年(昭和20年)2月、遂に松本楼が海軍省の将校宿舎となった。終戦後にはGHQの宿舎として接収され、約7年間に渡り営業ができない日々が続いている。そして1951年(昭和26年)11月にようやく接収が解かれ、松本楼は再スタートの営業を開始した。
 その後も日比谷公園で営業を続けていたが、1971年(昭和46年)11月19日、沖縄返還協定反対デモが日比谷公園内で激化し(日比谷暴動事件)、その中で中核派の投げた火炎瓶の直撃を受け、2代目の建物も焼失の憂き目にあった。
 そして冒頭の記述になるのだが、3代目松本楼のオープンは1973年(昭和48年)9月26日の再建に約2年を要したと言う。
 3代目建物には結婚披露宴会場、大小の宴会場やフランス料理コースの個室など、様々なニーズに応えた設備も登場した。
 2度の焼失にあいながらも1983年(昭和58年)には創業80年記念に1日店長として森繁久弥が務めたらしい。そして、2003年(平成15年)には創業100年を迎え歴史を刻んで行く。
 第二次世界大戦前には、日本に亡命していた中華民国初代総統の孫文やインド独立活動家のラース・ビハーリー・ボーズ、また2008年(平成20年)には中華人民共和国の胡錦濤国家主席も来店したと言う。文学の面では高村光太郎の『智恵子抄』をはじめ、夏目漱石、松本清張などの作品にも松本楼がしばしば舞台として登場し、時代を超えて公園の象徴的存在の一つとしてあり続けている。
 どうして都の公園の一角に個人の営業するレストランがあるのだろうかと不思議に思う人も多いと思う。私もそう思っていたが、明治時代に東京市から入札によるものだとわかった。こんな事例も調べると結構ある。今となっては利権は大変なものであろう。
 そんな事で久しぶりにこの松本楼へフランス料理を食べに出かけて来た。
 写真は昼と夜の様子を写してみた。昼はこの東京のド真ん中にこんなすばらしい森があるのかと思われる程の雰囲気であるが、夜は又特別の環境でムードいっぱいである。東京に居て、いつでもこんな環境を味わう事が出来る幸せに感謝している。

※松本楼の昼の様子。平日には近くのサラリーマンで満員になるらしい。休日は観光客で賑わうという。

※夜のレストランの入口。公園の中のレストランは軽井沢の雰囲気に似ている。

※松本楼の夜の様子。一階は普通のレストラン。3階はフランス料理。満席で入れない時もあるようなので3階は予約した方が良さそうである。

※3階のレストラン内部。主にフランス料理。森に囲まれた雰囲気は最高である。予約した方が確実に食べられるようだ。

資料 松本楼 パンフレット
   『日本史年表』岩波書店

平成26年8月10日 記


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