2月は、関東、山梨でも観測史上稀な大雪が2度降った。15日未明の積雪は、東京都心27cm、熊谷62cm、前橋71cm、飯田72cm、軽井沢80cm、秩父96cm、甲府110cm。場所により、交通や物流が完全に寸断され首都圏が大混乱した。各地の体育館や工場等の屋根が雪の重みで建物が倒壊した。山間部では、孤立した村落も多数に上った。2月下旬にようやく元に戻ったが、生鮮野菜類が高騰し台所を直撃した。これも異常気象の影響か?農業関係の被害総額は、1都8県で約1,100億円と甚大となった。
【冬季ソチオリンピック】 2月15日(土)羽生結弦(ゆづる)選手(19歳:仙台市出身)が男子フィギュアスケートで、この種目の日本人男子初の金メダルを獲得した。日本時間で午前3時過ぎ、老いも若きも眠気を忘れて喝采を送った。しかし、彼には大きな苦難・障害があった。
3年前の高校時代、3月11日、仙台でのスケート練習中に東日本大震災に遭遇し、練習施設や自宅が壊れ彼自身も避難民となり、スケートを止めようと思ったこともあったという。様々な障害や挫折を跳ね返して横浜などで練習を重ね、見事優勝したことは大きな快挙だと思う。
日の丸を背にしたウイニングランも良かった。安倍総理も日本から羽生選手に祝福の電話をし、大震災後の障害を克服した末の栄光を労った。周囲の人々の善意の支援にも助けられ、彼の外観からは想像もできない、強い信念と夢を実現させる情熱の末に金メダルで開花した。復興支援のアイスショー等の仕事もしてきた。勝利インタビューも謙虚に淡々と語ったことも好感を受けた。彼から勇気と希望をもらった人は多いだろう。
他に、スキージャンプの葛西紀明選手(41)と女子フィギュアスケートの浅田真央選手(23)にも感動した。葛西選手は、忍耐強い力強いジャンプで最年長の銀メダリストとなった。表彰台上の彼の顔に刻まれていた不屈の精神に感動した。又、浅田選手は、ショートの失敗をフリーで挽回し6位と巻き返した。残念ながら、浅田選手はメダル獲得できなかったが、フリーを完璧に滑走後、溢れる涙に多くのものを感じた。緊張、疲労、不安等から解放された安堵感等があったのだろう。上記3人の活躍の喜怒哀楽の人生の中に、熱く深い感動と希望を感じた人は多いと思う。
【林業女子】 2月25日(火)NHKテレビで、午後10:55〜11:20に放映された。主人公は、東京都檜原村で林業に従事している大塚さん。又、週刊文春(2月27日号)にも類似の特集が組まれていた。最近はこの種の記事が増加しており、環境への世間の関心が高くなり歓迎できる。
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大塚さんは、30歳。東京大学農学部を卒業後、外資系のイベント会社に就職するも、森林への思いは忘れられなかった。男性の職場であり、相当に厳しい。 |
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深川で林業に関心をもっている、川侮ミ長(川崎商店)や大谷さん(大手旅行社)に聞いてみたら、面識があるとのことで、世間は狭いと感じた。 |
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週刊文春には、第1次産業ガールズとして、林業、農業、畜産、漁業が紹介された。この中で、一番多いのが、「林業」で、今や多くの県に組織がある。 |
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【1945年3月10日 東京大空襲の慰霊碑】 江東区門前仲町の赤札堂そばのモスバーガーの脇に、「戦災殉難者慰霊碑」の小さな石碑(高さ、約1m)がひっそりと佇んでいる。清澄通りに面しているが、気付く人は少ない。私は、或る日偶然に発見した。それは、昭和20年3月10日午前零時過ぎ、米軍の325機のB29爆撃機が襲来、折からの乾いた西風の影響を見越した、わずか2時間半に、30万発以上の焼夷弾爆撃による空襲で東京は火の海となり、一夜にして10万人以上が焼死し、100万人が焼け出された慰霊碑である。日本の敗戦色が濃くなった昭和19年の後半から、全国各地でそうした悪夢が繰り返されていた。又、当組合事務局の方より当時の話をお聞きし改めて慄然とした。
しかし、戦後、奇跡的に復興した首都東京はその傷跡を留めてはいない。私は、多くの年長者から体験談を聞いたことがある。同年の広島・長崎も含め、長い時間が経ち被災者や体験者も減り風化されている。私の生まれるわずか数年前の悲しい現実だが、我々はその延長線上にいる。しかし、当時のことを学び忘れないことは大切な事だが、当時の事を必要以上にほじくり返すことをしようとは思わない。その慰霊碑には、時々、人知れず新鮮な花が手向けられている。日本人の心情を物語っている光景だ。
【3年前の東日本大震災の記憶】 3月11日(金)午後、風のない穏やかな天気の良い日だった。私はぼんやりと昔の東京大空襲が頭をよぎった。その時、突然、午後2時46分、未経験の大きな揺れと衝撃に襲われ呆然とした。ビルの3階の事務所から、大きな揺れの中で階段を転げ落ちるように必死で逃げた。大きな余震の度に、2〜3度繰り返した。あれから、3年経過した為、テレビ等での報道番組が増えた。福島第一原発の放射能漏れや広大な被災地の荒涼とした風景を見る度に言葉を失う。被災地の復興はまだこれからだ。日本の不幸をあざ笑う国があるというが、誠に残念だ。
【拡大する反日の動き】 作家の曽野綾子さんの寄稿文(3月9日(日)の産経新聞)に同感した。即ち、「至誠は国際的には通じない」。自分の誠意は相手に必ず通じるものだ、とする「至誠天に通ず」という信念もその一つだ。「この言葉は、孟子に出てくるのだが、それは個人の徳の範囲において可能なのであって、組織である国家単位では機能しない。」との事。収束どころか発火点となり、国益と尊厳を大きく損じている。
さて、ソチオリンピックが歓喜で終了したかに見えたが、直後、近隣のウクライナで混乱が発生。2月27日に暫定内閣が発足したウクライナの新体制が早くも機能不全の様相を呈してきた。3月7日からパラリンピックが始まったが、残念ながら重々しい空気に包まれている。世界各国のパワーバランスは刻々と変動している。世界中が心配・懸念する重大な事態を迎えている。
日本の国際的な立場は、バブル崩壊後の失われた20年の政治・経済の停滞中に大きく後退・弱体化した。最近、本屋に並ぶ書籍に、日本史、東洋史、世界史を遡って検証するものが増えている。今迄、この種のものは一種のタブー的なものであったが、ようやく冷静に学ぶ時がきたことは良かったと思う。反日の国際的な宣伝戦では、既に日本は遅れをとっている。様々な難しい問題を含むが、自国の歴史を様々な角度から検証することは、子々孫々の為には必要なことだと思う。
最後に、私は1980年代に7年間、米国加州に駐在したことがあり、当時は色々な国の出身者と和やかに食事会やゴルフ等を楽しんでいたことを懐かしく思う。又、そういう時代になって欲しい。
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