東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(102)

江戸川木材工業株式会社
常務取締役 清水 太郎

 7月1日、業界紙の訃報欄に、元貿易商社のK氏が84歳で逝去された旨の記事がありました。K氏は、当社がツーバイフォー工法住宅を手掛けるに際し、大変お世話になった方であります。懐しい写真も添えてありましたが、当時は芦屋に住まわれ、ダンディーな容姿で、スリムな体躯を背広で決め、仕事振りも手際よく、私達に静かに語りかけるお姿を思い出しました。
 今回は、K氏のご冥福をお祈り申し上げ、私共がK氏の指導でツーバイフォー住宅事業に手を染め、米国へ渡って住宅事情を視察し、新商品を開発輸入する経緯を40年前の時代背景と共に探訪します。
 1972年、「日本列島改造論」を提げて、田中角栄氏が登場し、土地ブームとなりました。1973年、原油価格30%アップを皮切りにオイルショックで物価は急上昇、庶民はトイレットペーパーを買い溜めし、物不足となりました。
 当社はその頃から、製品部から別れて住宅部を発足させました。当初は知り合いや、取引先の紹介で注文住宅を建てておりました。
 紹介にも限度があり、折角集めた大工さん達に仕事を供給する為に土地を購入して建売住宅を企画しました。銀行に頼んで融資枠を確保し、住宅ローンを金利10%で付けてもらいました。船橋市古和釜という地名で、新京成の高根木戸駅から徒歩20分の位置でしたが、お天気のよい土、日をターゲットにチラシを撒きますと、集客は好調で即日完売となりました。急遽近くの土地を探し、古和釜2期建売として、K氏の推薦するツーバイフォーのプランをコンテナで輸入し、米国から指導員を招いて建方の指導をしてもらいました。
 丁度入社したばかりのK社員は通訳の経験を持っており、現場に詰めてもらいました。K氏も現場に来て下さいましたが、私達の仕事振りを見て、独自のプランを開発してはどうか、ということになり、船橋駅から徒歩10分の位置で土地を求め、他に埼玉県越谷市に開発中の団地の中に60区画の土地を買う企画を立てました。ツーバイフォー工法は昭和49年(1974)オープン化されることが決まり、米国の住宅事情視察と、新プランの打ち合わせを兼ねて、シアトルに飛びました。シアトルにはM社の支店があり、ボーイングの大きな本拠地もありました。M社の支店に出向いて挨拶し、駐在員の方が、郊外の住宅団地や大きな製材工場を案内して下さいました。ウェアハウザーと云う世界一の製材工場は圧巻でした。高水圧で噴出する水の力で丸太の皮を剥き、10本以上の帯鋸からディメンションランバーがところてんのように出て来て、乾燥工場に入ります。こんな国と戦争をして勝てる訳がないと実感しました。
 数日後、シアトルから1時間程でポートランドに着きますと、指導員P氏と通訳の日本人K氏が空港に出迎えて下さいました。P氏とは現場で指導を受けて以来、数ヶ月振りの再会でした。早速、M社系現地法人W社と、M商社の駐在員が居るオフィスでプランの打ち合わせをしました。米国には、当時は日本にないもので、今まで入って来て隆盛を極めているものがあり、私には珍しく、興味深く見学しました。その一、DIY、広い敷地に売場があり、多勢の人が小型トラック等でやって来てはランバー、金物他工具等購入し、自分で組み立ててしまうことから、Do it yourself DIYと名付けられました。その二、セブンイレブン、その三、ディズニーランド、M社のロサンゼルス支店を訪ねた際、通訳付で案内してもらいました。その後10年で浦安に出現、日本人は虜となりました。
 ポートランド滞在中、8月8日、ウォーターゲート事件が発覚し、ニクソン大統領が議会で糾弾され、辞任し、副大統領フォード氏が選出される様子がテレビで放映され、固唾をのんで見ておりました。数日後、所用で日系二世N氏に会い、その話をしました。N氏は「現職の大統領が辞任するのは大変残念ですが、たとえ大統領でさえ、辞めさせることができる法律の力を我々米国民は誇りに思う」と仰っておりました。
 M社ロサンゼルス支店に出向きますと、ハリウッドの郊外にある、アーバインと云う広大な住宅建設現場を案内して下さいました。
 米国はベトナム戦争が終って平和になり、帰国した兵士達が増えて、住宅需要は旺盛で、年率250万戸建っておりました。
 8月15日、韓国大統領朴氏が狙撃され、夫人が死亡するというニュースをM社駐在員に教えてもらいました。現朴大統領のご両親です。
 約2週間の米国出張を終え、帰国しますと、日本経済はピークを過ぎて陰りが出ておりました。新プランを建てる為に、越谷市に求めた土地60区画を40区画に減らしました。
 M商社に帰国の挨拶に行きますと、K氏は転勤で新任地に赴任して居ませんでした。
 越谷市の建売りは不況で売れ行きは散々でありました。
 しかし、K氏らが企画したツーバイフォー専門のメーカーが発足し、福島から来た若い大工職が育って大きな戦力となり、当社はビルダーとして活用して頂き、恩恵に浴することになりました。
 あれから40年、ツーバイフォー住宅は、全着工戸数の12%を占めるまでになりました。在来木造の90%以上はプレカット工場で部材が刻まれ人手不足に対応しております。
 新築住宅着工戸数はピーク時の50%前後にまで落ちましたが、リフォームの需要は増える一方で、未だ統計には出ておりませんが、如何にリフォーム需要を取り込むかが、業績維持の決め手になっていることは間違いありません。当社は先月号で述べましたように、阪神淡路大震災を契機に、耐震ビジネスを発足し、安全、健康、環境をテーマに、商品開発し、社会貢献に努めます。




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