東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.186

〜歴史探訪 一人旅〜
「鎮守の杜」は日本の守り神(日本人の心)

青木行雄

 6月、宮澤正明監督の映画「うみやまあひだ」と言うすばらしく、考えさせられる映画を観る機会があった。
 この監督の意図はナレーションはつけず、水先案内人のような事はせず、観た後は自分で考えてほしいとの考えもあり、この神秘が放つ映像美に魅せられて数回観ることになった。
 伊勢神宮と言うと20年に1度、新築した神殿に神様がお移りになる事を式年遷宮と言うが、1300年の長きにわたり繰り返している。この伊勢神宮の伝統そのものが日常生活において神々の延長上にあると言われている。

 この映画では伊勢神宮を通して、日本の森と言う大事な自然林にどう取り組んで来たか、これからどう対処していくか等問い掛けは多い。真夜中に行われた、式年遷宮の様子は見事な映像であり、書面ではとても表現出来ない神秘的な画面であった。
 ここで伊勢神宮と式年遷宮についてちょっと説明する。
 伊勢神宮は、正式には「神宮」と言い、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)を中心とする125社からなる日本最高峰の聖地と言われる。親しみを込めて「お伊勢さん」とも呼ばれることが多いと言う。

 

 外宮の神域では、毎朝、古代さながらの方法で火をおこし、かまどに火を入れ、水を汲み、そして朝夕に神様の食事を調えてお供えするお祭りが行われている。この様子が映像に写し出され、木の摩擦により火をおこす古来の描写の映像など大変勉強になった。
 「日別朝夕大御饌祭」にお供えする神饌のお米、野菜、塩など殆どが自給自足でこの伊勢神宮で作られた材料である。こうした日々のお祭りが、1500年の間、今も尚1日も欠かさずに行われていると言う。気の遠くなるような歳月を超えて、恵みに感謝し、日々の平安と永遠を願う祈りを続けられているのである。
 年間を通じては1500を数えるお祭りが、日本人の命の糧である稲作を軸に営まれている。毎年、実りの秋には1年で最大のお祭り「神嘗祭」が行われ、収穫したばかりの新穀を神様にお供えして、豊かな自然の恵みに感謝を捧げる。この神嘗祭を大きくしたお祭りが、20年に一度の式年遷宮と言う事のようであった。
 式年遷宮は20年に1度、内宮、外宮の社殿から、神様にお祀りする祭器類、御装束神宝の全てを新しく造り替え、更なる感謝を込めて神様にお遷り頂くという、神宮で最重要のお祭りである。1300年の長きにわたって繰り返し再生することで永遠の瑞々しさを保ち、更に未来へと守り継がれて行くのである。常に若い生命の輝きを求める「常若」の世界、永遠を願う祈りが、ここにあると言うことであった。
 神宮の重要なお祭りは夜に儀式が行われることが多い。毎年秋の「神嘗祭」や、「式年遷宮」の遷御の夜の闇を、神様の訪れを感じる清らかな「浄闇」と呼ぶ。
 映像の中で、かすかな灯りの中で大勢の神官達が砂利の上を音を立てて、闇の中で規則正しく歩く画面を観て、何んと神秘的な儀式だな〜と改めて観入る。

 

 この映画の宮澤正明監督の意図とするところを探ってみた。
 前記に伊勢神宮については説明したが、この神宮には2000年ものあいだ培ってきた森との共存という文化があり、その中には20年に1度の式年遷宮のことも説明した。監督は2004年から伊勢神宮の式年遷宮の記録を撮影する公式な写真家として撮影して来たと言う。そして宮澤監督は、赤外線フィルムを使ったフォトアートの第一人者でもある。遷宮は深夜に行われる秘祭で足元を照らすほどの灯りしかないため、今まで写真や映像で納めることは難しかったのだが、赤外線写真の撮影方法を用いたことで、観た人はわかるように暗闇でも幻想的な写真を撮影出来たと言うのである。
 映像作品にしようと決めたのは人と森との営みに感銘を受けたのがきっかけで10年間神話をテーマに写真を撮っていくなかで200回ほど伊勢神宮に通っていると神宮の森に対する知恵や畏敬の念を深く感じ、人と森が共存することによって衣食住が成り立っているという日本人独特の信仰心のようなものを感じ取ることが出来たと言う。こういったことは、都会で生活していると感じる場所も少なく、忘れがちになってしまう。監督は人間と森との距離感、共存というテーマで写真ではなく映画として制作したいと思ったのである。
 伊勢神宮は式年遷宮のため森を育成する必要があり、循環再生型の森と共存していくシステムを構築している。そのため桧の周りにも多種の木を植えてバランスが取れた森づくりを行っているという。
 昔から日本の全国各地には何万という鎮守の森というものがあり、人々が生活のために森を伐ったら必ず植林してその森を再生していくという歴史があった。そういう部分が伊勢神宮の森には今でも続けているすばらしい所である。

 

 この映画の中に森と生きている人や係わりのある12人の賢者にインタビューしている所も面白い所だ。
 12人の賢者の人々(画面に出てきた人々)を記してみた。

@河合真如 伊勢神宮神職
A小川三夫 宮大工棟梁。西岡常一の唯一の内弟子
B倉田克彦 神宮司廳営林部 神宮の森の管理者
C大野玄妙 法隆寺第129世住職 法隆寺は現存する世界最古の木造建築
D大橋 力 脳科学者、高周波が脳を活性化すると発見
E宮脇 昭 横浜国立大学名誉教授 4000万本以上の植樹を実践
F隈 研吾 建築家。作品には「根津美術館」「新歌舞伎座」
G北野 武 映画監督。国民的タレント
H池田聡寿 池田木材三代目社長。伊勢神宮へ桧の納入業者
I田中 克 京都大学名誉教授。沿岸生態系の研究や稚魚の生理生態研究の第一人者
J畠山重篤 森は海の恋人の主宰者
K成澤由浩 料理人。森とともに生きるをテーマに料理を作る

 この中の人々の話を聞いていると特記したい事がある。

 宮大工棟梁の小川三夫氏がかつて弟子入りした時に西岡常一棟梁より、1年間テレビ・ラジオ・新聞一切禁止で毎日ひたすら道具を磨けと言われた。1年365日刃物を研ぐだけの日々を過ごしていくと一体何が起こるのか。
 小川氏は、最近になって「棟梁が言われたのはこういうことなんだな」と分かるようになった。それは、大工は、いい仕事をするとか綺麗なものを作るというより先に、自分に合った切れる刃物を持つことが大切である。一生懸命磨いて研いだ刃物を持てば、手を抜くような仕事はしたくなくなる。精一杯その道具を使ってみたいという気持ちになると言う。そういう刃物を持てば、それに負けない、応えるような仕事をしようという気になるものだと言う。

 宮脇昭氏は森をこんなふうにとらえた。

 私たち日本人は世界で唯一、4000年来、新しい集落や田んぼをつくり、存続の為に「ふるさとの木による、ふるさとの森」を守りつくってきた。それが「鎮守の森」である。
 森というのは「森は命であり、そしてあらゆる生き物の生存の基盤である」という当たり前のことが、つい忘れられている。現在を生き抜き、未来に生き延びるためには、森の力をもう一度見直さなくてはいけない。
 そういう森づくりをやっていこう。前向きに、危機をチャンスに引き算しないで、自分の為に愛する人のために命の森を守りつくって行こうと、訴えていた。

 大橋力氏の話はおもしろい。

 アフリカの熱帯雨林を見たとき、あっと驚いた。お伊勢さんの森と何故かよく似ていると言われる。そして伊勢の森には超高周波が多くあると言う。


 耳に聞こえない領域で賑やかな森のオーケストラがあった。
 人間に音として聞こえる周波数は20キロヘルツを越えません。しかし、超高周波を感じるのは耳、鼓膜じゃなくて、「身体の表面」であることがわかったと言う。まさに体で感じる世界である。
 森で風が吹いたら、木々のささやきや植物たちの振動が物理的に出て来る。巨木が林立している間を風が吹き抜けたら、ゴーっていう轟音がする。滝の音、川のせせらぎの音もものすごくリッチである。そういう音がベースラインとして森の中に常にある。更に、鳥のさえずりや虫の音など、美しい音がいっぱいあって私達に語りかけてくる。我々が「静かだ」と感じることにも、全く耳に聞こえない超高周波領域で、ものすごい賑やかな森のオーケストラがあることがわかったと言う。だから森は人間にとって大切であり、森林浴が必要だと言うことか。
 森の中で複雑に変化する超高周波を豊富に含む音「ハイパーソニックサウンド」は中脳や間脳など、脳の奥にあって心身の健康に非常に重要な役割を果たしている「基幹脳」の活性を回復させる効果があることを見出した。基幹脳の活性不全は様々な現代病の引き金をひくことがわかって来た。だから森や森林浴は人間に欠かせない。

※ 画像の中で伊勢の森林の木々に尺八の音が響き渡る映像があった。観た人には感動で感銘したシーンであるが、これから観られる人は思い出して観て、聞いてほしい。

 池田聡寿氏の話もおもしろい。
 木は伐り倒さず「泣いて寝る」木曽の杣夫の伝統は。
 木曽では木を「伐り倒す」という表現は一切使わない。木を「寝かす」と言う表現をするらしい。それから、木が倒れていくときに「泣いて寝る」と言う。
 木を切って倒すとき、最後の斧がボンと入ったら、「キイッ」と悲鳴のような声を出して倒れていった。画面でも良くわかった。


 12人の賢者全員の声を記したい所だがこの辺で映画の本筋を考えてみる。
 伊勢神宮を通して「鎮守の杜」の大切さや、今何となく不安になっている日本人が、これからどうやって自信を取り戻したらいいのか、その根源がこの映画に隠されているようだ。
 伊勢神宮式年遷宮の儀式から始まり、森の大切さや、森と海が切っても切り離せない関係にあることや、自然に対する畏敬のような心を持って、里山や鎮守の杜を大切に守り、海と森に断絶されることなく生きて来た日本人。それが今はかなり崩れてしまったかもしれないけれど、「まだ間に合うよ、大丈夫だから」と教えてくれている、そんな宮澤監督の考えかも知れない。まだ映画を観ていない人は是非観てほしい。
最後に平成27年7月東京都神社庁発行の「生命の言葉」の中にこんな一節があった。
「今日用うるところの材木は則ち前人の植うる所。
然らば則ち安ぞ後人のために之を植えざるを得ん」 二宮尊徳 記
(今日用いている材木は我々のご先祖様が植えてくださったもの。そうであるならばどうして我々が未来の子孫のために材木を植えないことがあろうか。何かを残さなくてはいけない。)

参考資料
 「うみやまあひだ」パンフ
 「日刊木材新聞」・コラム
 神社庁パンフ    

昭和四年度御遷宮絵巻「遷御」<高取稚成画>
出典:「伊勢神宮パンフレット」

平成27年7月26日 記


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