東京木材問屋協同組合


文苑 随想


『歴史探訪』(116)

江戸川木材工業株式会社
取締役 清水 太郎

 私が20年以上加入している「東海道ネットワークの会」は、4代目会長秋庭氏が、健康上と家庭の事情で辞任され、5代目を襲った手島新会長は88歳のご高齢で、日本の縮図のようになってしまいました。早く手を打たないと消滅することは目に見えております。
 私も長い間お世話になっておりますので、他人事とは思えず、9月26日の例会は出席する事に致しました。テーマは「駿府宿に徳川家康の事績を偲ぶ」であります。
 私も静岡県には多くの思い入れがあり、この機会に、若い時から現在まで、静岡との関わりについて回想し、歴史探訪します。
 大学在学時、友人の紹介で体験した夏休みのアルバイトは、電源開発の下請で、静岡県の山林や河川の流域を歩き、送電線を支える鉄塔の位置を決める測量の仕事でありました。
 当時は佐久間ダム、井川ダム等大きなダムは完成し、黒四ダムは建設途上でありました。ダムで発電した電力を都市へ送る送電線の敷設が急がれておりました。1チーム5、6人の測量部隊がジープで移動し、送電線の予定ルートを歩き、鉄塔の予定箇所の周辺を測量します。仮の宿として借りた農家や旅館に帰って、二鉄塔間の縦断図を作り、電線のたるみ等を計算して効率的なルートであることを確認して作業を終えます。
 学校卒業後は、雄大なダム工事等に憧れて、ゼネコンを志望し、1963年入社を許されました。入社後1ヶ月間は、同期の仲間33人と建設現場の見学で過ごしました。御母衣ダム、黒四ダム、名神高速道路、琵琶湖大橋等雄大な工事ばかりでした。1964年五輪に向って、東海道新幹線、首都高速の一部が完成しておりました。赴任した現場は、都心の地下鉄工事、新宿西口の地下駐車場、新宿副都心へ淀橋変電所から地下シールドにより電力を供給する工事、地下の工事が殆どで、昼夜働きました。1964年東京オリンピックのときは、現場事務所が新宿駅東口にあり、京王百貨店の屋上から自衛隊機が描く五色の輪を眺めたり、甲州街道を行くアベベの快走に感動を覚えました。東名高速道(最後の現場)完成前にゼネコンを退社し、現会社に入社しました。
 入社後27年目、(1994年)思い立って東海道中を始めました。静岡県には五十三次中、三島、沼津、原、吉原、蒲原、由井、興津、江尻、府中、丸子、岡部、藤枝、島田、金谷、日坂、掛川、袋井、見附、浜松、舞坂、新居、白須賀と22の宿場がありましたがそのうち宿泊したのは、原、興津、府中、新居の4宿のみでありました。箱根の先はあまり土地勘がないので、中学からの友人萱原氏を誘いました。萱原氏はその頃交通事故で母親を亡くし、私もお母さんには大変可愛がって頂きました。少しでも元気になってほしいと、再三誘ったあげく、初めての投宿地、原宿から来てくれました。私達はつかず、離れず歩き、萱原氏が得意の腕を振ってスケッチを描いてもらい、共同出版した道中記に多くの作品を載せてもらい、読む人の眼を楽しませてくれました。原宿ではたまたま予約した木賃宿風な旅館の女将が同年代の人で、どこかで会った感じがしました。彼女も昔私に会ったと仰っており、若しかしたら、私がゼネコンに勤め1年間住んでいた頃でしょうが、30年程前のことで、お互いそれ以上の詮索はしませんでした。その次は、私が富士川駅から歩き始め、あの広重も描いた名所薩からの雄大な眺めを堪能して興津宿に着きました。萱原画伯は一足遅れて着き、私が投宿する宿を決めて駅まで迎えに出る手筈になっていました。何軒かたずねては断られ、ようやく予約した旅館では、「連れが後から来ます」と云いますと私が誰か訳ありの女性を連れて来るお忍びではないかと勘違いされて思わず赤面しました。3回目は深夜バスで来て静岡駅前に投宿。翌日は丸子宿まで歩き、画伯は弥次喜多も寄ったという名物とろろ汁の丁字屋のスケッチをし、丁度店が開いて名物とろろ汁を食したそうですが私は先を急ぐので素通りし、島田駅で落ち合って帰りました。あの弥次喜多も昼時に寄ったのですが店員の夫婦のけんかに巻きこまれて食えなかったようです。「けんかする夫婦は口をとがらかして鳶とろろにすべりこそすれ」
 その次の道中、朝早く島田駅から歩き、日本一長い木造の橋・蓬莱橋を渡り茶畑の中を歩いておりますと、鉄橋(大井川)を渡るSLを見たことから、予定を変更して大井川鉄道を遡り接岨峡温泉駅で降り、女性の駅員が電話すると4軒しかない旅館の主人が車で迎えに来てくれ、隣の温泉で汗を流しました。
 新居宿に泊ったときは、画伯がスケッチに入れ込んで遅くなり、私が一足先に予約してあった旅館に着きました。ふとんが2組敷いてあり、浴衣が用意してありましたが、片方の浴衣に赤い帯が添えてありました。
 京都に着いた日は、平安遷都1200年を記念する時代祭で賑っておりました。未だ路面電車が走っており、途中で乗った電車の中からと、下りて寄った店の2階からお祭りを眺め、翌日は三条大橋に辿り着き、無事、東海道中は目出度く終了しました。
 翌年縁があって、「東海道ネットワークの会」に入会し、多くの素晴らしい仲間に出会うことが出来ました。
 横浜で歯科医を開業している浜野文夫さん、日本一部厚い年賀状と称して、御自身が歩いて堪能されたご馳走と、洒脱な文章で綴った楽しい味の旅、今年は第9巻を頂きました。
 飛沢久治さん 仕事でインドネシアへ出張中、偶然出会ったボロブドゥール遺跡を何度も尋ね、奈良東大寺にある華厳経から、善戝童子が訪ね歩く五十三の聖人に模して、五十三次の宿場制度が出来たことを教えてくださいました。もうご高齢で会うことも叶わなくなりました。
 ネットワークの会では例会等で楽しい経験をさせてもらいました。「東海道灯火リレー」では、比叡山延暦寺に燃え続ける神聖な灯火を次々に点火して上野寛永寺までリレーで繋ぎ、人類の幸福と繁栄を祈願する一大イベントがありました。この時は母の死期が近く参加できませんでした。
 しかし、平成13年10月30日〜11月22日全宿場を徒歩で繋ごうという企画には4回参加しました。
 (1)日本橋−川崎宿 (2)小田原−箱根 (3)新居宿−吉田宿 (4)大津宿−京都 でありました。
 日本橋の出発と最終の京都では多くの会員が参加し大変盛り上がりましたが、流石に体力の衰えを感じました。
 最後の関わりは、私が勤務する企業が、地震に強い家の提案を企画しました。東海地震の発生を憂慮して、静岡県が企画する「トーカイゼロプロジェクト2000」に参画しました。
 全国から250の企業と個人が応募した中から、当社の制震工法がベスト8に選出され、静岡県の指定工法になりました。県民の方が当社の工法を注文すると県から補助金が出る制度も創設されました。県庁に出向き、営業する許可を賜り、代理店の募集に出掛けました。
 何度か出向いてお世話になった某組合の事務局の人に教えて頂いたのですが、静岡で仕事をするのなら県民の気質を理解しなければなりません。ところで「伊豆盗っ人、遠州強盗、駿河乞食」という譬えがあることを知っていますか、と訊かれました。これは別に悪い意味でなく、昔から云い伝えられていることです。つまり、当地の人が困ったら何をするかということです。進取の精神に富んだ遠州。ヤマハ、本田等世界に雄飛する企業もある。気候温暖で食うに困らない駿河。油断ならない伊豆、しかし大それたことはしない。3つの地域それぞれ特徴があり、言い得て妙だと感心しました。

 9月26日は若しかしたら最後の例会になるかも知れません。歩くコースは下記の通りです。

(1)久能山東照宮造営三百年祭記念塔
(2)少年家康像 壮年家康像
(3)宝台院
(4)徳川慶喜屋敷跡…浮月楼
(5)十返舎一九生家跡
(6)駿府城外堀弥次喜多像
(7)駿府城
(8)井の宮瑞龍寺
(9)徳川家ゆかりの浅間神社
(10)静岡市文化財資料館
(11)徳川家達屋敷跡
(12)城北公園
(13)富春院
(14)臨済寺

 流石、静岡在住の杉井事務局長、手島新会長が企画したコースで、約4kmの行程です。秋庭前会長は十返舎一九の研究では第一人者で、楽しいお話が訊けることでしょう。瑞龍寺は秀吉の異母妹が眠っています。
 1日歩いただけで、戦国時代末期から徳川14代265年、歴史の舞台で活躍した人、裏で泣いた人達の足跡を探り、大きな感慨を仲間達と共有することのできる掛け替えのない1日となることでしょう。


鷹狩りを楽しむ家康像(駿府城公園内)

弥次喜多像(駿府城外)


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