『歴史探訪』(118)
江戸川木材工業株式会社
取締役 清水 太郎
先月号で述べましたが、11月5〜7日、「有明をよくする会」等のメンバー8名で「沖縄視察会」が実施されました。
今、東京では6つの大規模開発が進んでおります。@大丸有 A池袋 B新宿 C渋谷 D品川 E湾岸 の6地域ですが、最も注目されているのは、2027年リニア中央新幹線が発着する品川地域と、2020年東京五輪で選手村、競技施設の建設とまちづくりが進んでいる湾岸地域であります。
「有明をよくする会」では地域の地権者20社が集って、20年以上前から行政サイドと協議し、湾岸地域の将来像を展望しまちづくりを推進して参りました。定期的に視察会を実施し、全国各地の成功例や震災地の状況を見て参りましたが、今回は沖縄にスポットを当てて視察計画を立てました。
何故沖縄かと申しますと、
@国内外で高い人気を博しているリゾート地として、昨年観光客700万人と、史上記録を更新、海外からの来訪も89万人を記録(2014年)
A1972年、本土復帰後、基地返還等により大規模開発が推進され、経済発展を遂げている
B立地を生かした物流拠点、観光拠点化している 等によります。
有明地区では五輪招致等によりインフラの整備も予定され、まちづくりや観光客の受入れで、沖縄の開発に学ぶところが多いのではないかと思われます。
私は50年以上前にご縁があって沖縄を訪問したことがあり、当時と比較して如何に変貌を遂げたか、を確認する楽しみもあります。
沖縄は太平洋戦争の末期に米国軍が上陸して、激しい地上戦の末、30万人の住民と両軍兵士が死亡しました。終戦後米国に統治され、多くの基地が造られました。沖縄に米軍基地があるのではなく、基地の中に沖縄があるとまで云われました。私が渡航したのは1962年で、未だパスポートが必要でした。東京−西鹿児島間が27時間かかり、鹿児島港から船で一昼夜かけて那覇港に着きました。船のスピーカーから、当時流行っていた沖縄出身の歌手仲宗根美樹さんのヒット曲「川は流れる」が流れ、旅情を慰められました。那覇は北緯26度、東経128度の地点に在り、日没は1時間遅く、亜熱帯に属します。気候の所為か、人情は素朴で穏やかな人が多いように見受けました。道路は自動車は右側通行、通貨はドルが流通して居りました。渡航後、初日は南部の戦跡巡りが定番になっておりました。ひめゆりの塔、健児の塔を巡り、洞窟に逃げ込んだ後、自決した人達の名が石碑に刻まれ、涙を誘いました。夜は蛇皮線の伴奏で、歌ったり踊ったりで賑っている店に繰り出す人も居りましたが、昼間は海沿いの道を走りますと珊瑚礁で美しく輝く海、晴れた夜は満天の星空がご馳走です。沖縄の人は唄と踊りが好きで、人が集まればどこの民家でも蛇皮線の伴奏で唄や踊りに興ずる風習があります。沖縄のメロディーは、音階で云いますとド○ミファソ○シド、というレとラを除くと沖縄特有のメロディーになります。
時は流れ、53年後の11月5日、羽田から1500杵、約2時間半で那覇空港に着きます。空港は24時間体制で、航路が海に突き出て居り、海から着陸、海へ離陸しますので深夜でも住民に騒音を及ぼさないことによって、24時間発着が可能になります。
沖縄中心に4時間で日本(人口1.3億)、中国(人口13億)、ASEAN(6億)と、20億人の巨大マーケットを覆い、例えば北海道産のホタテが半日で香港家庭の食卓に届き、鮮度が勝負の食品が高価で取引され、12都市間、全64路線がフル稼働してネットワークをカバーします。貨物は広い倉庫で仕訳されて発着し、従業員は24時間体制で対応します。乗客は深夜に乗り換えさせますと怒りますが、貨物は怒らないので好都合だそうです。全日空の貨物取り扱い量1,206,000トンは世界の航空会社No.8です。2019年、滑走路が1本完成の暁には便数は1.5倍に増えます。
沖縄は明治維新まで450年間、琉球王国として栄えました。昭和20年、太平洋戦争で県民の約4分の1が亡くなりました。戦後米国に統治されておりましたが、復帰後基地のかなりの面積が返還され、3,500億の復興支援によって経済は飛躍しました。人口増加率は東京都と共に日本一です。出生率1.8人は高齢化、人口減の日本全体を尻目に断トツの日本一で日本経済を牽引する大きな力となることでしょう。全日空の責任者桑田さんは単身赴任、東京は葛飾出身で、柴又の寅さんを彷彿させる爽やかな弁舌で沖縄の未来を熱く語ってくれました。
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全日空貨物ハブネットワーク
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宜野湾市のMICEコンベンションセンター
次は隣接するLCC格安航空の見学です。
料金を安くする為に無駄を省き、旅客の屯する発着付近待合所も、空いた倉庫を安く借り、豪華な内装は一切しない。見学者への説明も部屋は設けず、見学者は立ったまま話を聞き、乗客は屋根のない屋外を飛行機まで歩きます。流石に雨天の日は傘を貸してくれます。
今回最大の目玉は宜野湾市にある「光と風のリゾートMICE施設」沖縄コンベンションセンターです。先の沖縄戦に対する鎮魂歌、更に復帰10周年記念事業として建てられました。マイス(MICE)とはMeeting Incentive Convention Event/Exhibitionの頭文字を取った言葉で、東アジアの交流拠点 リゾートMICE地、沖縄コンベンションセンターと銘打っています。
沖縄MICE7つの魅力は
@参加者が元気になれる島
A非日常性を楽しめる島
B安全、安心、快適
C全国からのアクセスが便利
D充実したMICE施設
E多種多様な観光素材&MICEコンテンツ
F多彩なMICE開催支援メニュー です。
青磁色の波を打つような屋根とRC造りで 劇場棟 会議棟A、B 展示棟と4棟の建物が夫々 「洞(ガマ)」「海」「空」をモチーフとしています。就職説明会 産業イベント コンサートは3,000名収容 パーティ スポーツ 講演会が開かれ稼働率は70%
周辺には宜野湾トロピカルビーチ、宜野湾市立野球場、宜野湾アリーナ、屋外劇場等が隣接しエリアで活用が広がります。館長の下地貴子氏、主査町田卓二氏の説明は名コンビで緩急自在に施設の魅力について淀みなく話して下さいました。今日の予定はこれまで、約1時間かけて今夜の宿、名護市のホテルゆがふいんに向かいます。途中標識の地名 東江(アゲリ)、許田(キョタ)、恩納(オンナ)、北谷(チャタン)、読谷(ヨミタン)等が面白い。琉球王国時代の言葉、地名に漢字を当てたようですが、北海道の地名(アイヌ語)に漢字を当てた札幌、長谷万部、留萌、等と共通する表現ではないでしょうか。
2日目は、ホテルを8時スタート、沖縄美ら海水族館を見学します。当地は30年以上前、沖縄海洋博が開かれ、その目玉となった水族館が好評で、現在まで存続しています。広大な敷地が海に向かってなだらかに傾斜し、延べ約19,000m2の建物が半分以上斜面の下に埋め込まれています。77の水槽を配し、珊瑚礁や揺れる海草の中をジンベエザメ(5M)から小さな熱帯魚まで無数の魚が縦横に泳ぎ、それらを上から下から横から眺めながら、深海への旅、黒潮への旅を楽しみ、海ガメ、マンタ、イルカ達と出会い、1階から砂浜へ出ます。
2000年、沖縄サミットが開催されたリゾートMICE、万国津梁館は国際会議実施中につき入ることは叶わず、走行中のバスから眺めるだけで通過します。この辺りはリゾート地で、珊瑚礁に彩られた海の景観は世界一と云われています。
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イオンモール沖縄ライカム
イオンモール沖縄ライカムで昼食後、企画運営担当のゼネラルマネージャー氏から説明を受けます。当地は米軍基地でありましたが返還され、240名の地主から175,000m2の土地を借り、イオングループが企画建設し、2015年4月25日、オープンしました。220店舗が集結、出店飲食店、60店、5,500席、ユニクロ、コジマ、DHCもオープンしています。対象客は沖縄本島120万人、基地関係者5万人、9割を地元、1割を観光客で集客来店を期待、年内に中城湾にクルーズ船が寄航し、来店が期待されます。北側に徳州会病院、東側にアリーナ、南側にマンション郡が隣接しています。午後2時スタート、3時に沖縄県庁に出向き、文化観光スポーツ部 観光振興課 観光まちづくり調整班 外間班長他2名の担当者から熱い話を聞きます。沖縄県は、観光客の誘致、客の来訪数が沖縄発展の鍵と考え、交通インフラの整備、ホテル等宿泊施設の整備、内外へのPRに余念がありません。折角来訪した客にもう1泊を勧め、離島との連携、学会等諸団体に呼びかけて、沖縄の振興について心血を注いでいることを書類の数字や表で熱っぽく説明して下さいました。
関係当局と官民一体となった体制づくりと努力によって、観光客数、観光収入は毎年着実に増えております。
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観光客 |
収入 |
1975年(海洋博開催) |
160万人 |
1,200億 |
2014年(実績) |
717万人 |
5,342億 |
2021年(平成33)予定 |
1,000万人 |
1兆円 |
前頁の目標は恐らく達成されるであろうという予感が致します。
班長の情熱的なお話に引きこまれ、予定の60分は瞬く間に過ぎ、お礼を申し上げて今日最後の見学地 那覇港に向かいます。
クルーズターミナルには超大型船が停泊しており、今夜10時出港します。乗客が爆買いに出掛けて、荷物をかかえて乗船する姿も見られます。他に国際コンテナターミナルもあり、7月28日にはクルーズ船が3隻同時に接岸しました。港の整備によってクルーズ船の寄港実績は2015年10月現在114回(前年80回)来客数は189,000人(見込)前年117,272人と飛躍しています。
予定の見学を終え、ホテルハイアットリージェンシーに着いても、午後5時半と云うのに未だ日は暮れません。全員元気で夕食会場、伝統ある琉球料理店「うりずん」に徒歩で向かいます。うりずんとは5月の風という意味です。今夜は大林組沖縄営業所の譜久嶺さん、沖縄物産社長羽地さんも加わり、沖縄料理に舌鼓を打ち、店長下地さんの面白い話で盛り上がりました。夕食後はゆいレールの安里駅から1区間1人110円で乗り、牧志駅で降り、国際通りの繁華街を眺めて宿に帰りました。
翌日は奥武山公園総合運動場施設の隣りウミカジテラスを階段で100段ほど登り、美しい海を眺めて、那覇空港12時20分発ANAで羽田に向かいました。
今回の視察会はテーマが「まちづくり」でしたので、インフラ、物流基地、MICE、イオンモール等で、大林組さんの現地の方の献身的な手配によって、的確にアポを取って効率よく見学し、親切な説明に全員大満足で、有意義なツアーになりました。学んだことをよく復習して、今後有明のまちづくりに生かすことが出来れば幸いであります。
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那覇港(物流・クルーズ)
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