東京木材問屋協同組合


文苑 随想

見たり,聞いたり,探ったり No.190

〜歴史探訪 一人旅〜
台湾・中秋名月鑑賞会&音楽祭
台南市・「黄家」より御招待
青木行雄
新年あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

平成28年 元旦 青木行雄

 

※日の出に輝く木材会館

 平成27年9月26日、台湾・台南市の富豪・「黄家」より招待を受け、羽田より搭乗する。

 台南市の後壁区後壁里40号にある、「黄家」は築100年以上の古暦民家で約1万坪の敷地に住居が点在する旧家であった。
 この敷地の中で地域住民や台湾中から上流市民、一般市民も入場無料で参加自由。名月鑑賞会と音楽祭を開催し、今年で18回目になると言う。この音楽祭に「黄家」から招待を受け参加することになった。

※通りに音楽祭の看板が目立つ。無料で誰でも入場できる。

※黄家入口玄関。大きな看板があって、庭内には、南国ムードが漂う。

※庭内で開会前に軽食をとる参加者。南国らしい雰囲気であった。

※庭内に入ると、音楽祭にふさわしい、歓迎の花筒。人が出迎えているようだ。

 


※9月の月が地球に一番近い月と言われているようだが、
台湾で見た月、実に美しい。
 月見とは、「月、主に満月を眺めて楽しむこと。観月とも称する」とフリー百科事典にあった。また月見は、主に旧暦8月15日から16日の夜(八月十五夜)と、日本では旧暦9月13日から14日の夜(九月十三夜)にも行われていた。そのため、月見に関する話題で単に「十五夜」「十三夜」という場合、これらの夜を意味したようだ。
 中国や日本でも月を愛でる慣習は古くからあって、日本では縄文時代からあったらしい。
 私の小さい頃、十三夜になるとススキにダンゴや果物を飾り、月に手を合わせた記憶があり、近所でも見かけた。今でもあるのかも知れないが、あまり一般には見かけなくなった。
 この歴史をちょっと調べてみた。
 名月の日に月を鑑賞する風習の始まりは、唐代の頃からという。宋代の『夢華録』と言う本には、身分に関わらず街で街を挙げて夜通し騒ぐ様子が記録されていると言う。この風習が859〜877年(貞観年間)の頃、日本の貴族社会に入ってきたという。
 平安時代の月見は徐々に規模が大きくなり919年(延喜19年)には宇多法皇が日本独自の十三夜の月見を催したと記録されている。当時の日本での月見は詩歌や管弦を楽しみつつ酒を酌むといった雅味な催しで庶民とは縁遠いものであったようだ。
 明代の中国では宴会に加えて、名月の日に供物や月餅を贈り合う習慣が始まったようである。
 そして今、台湾では中秋節は重要な民俗行事で、全台湾が休日となり、月見として月餅や文旦を食べる習慣になったと言う。又、台湾内地区的文化として、美濃区の各家ではアヒルを殺して食べる習慣や宜蘭の小麦粉を練って中に黒糖を塗って焼いた「菜餅」を食べる習慣など、また南部ではお餅や鍋で食する風習などが紹介されている。
 そして今回招待を受けた、後壁区の「黄家」では、黄家の益々の繁栄と台南市の繁栄、ひいては台湾全体の為に家庭が、市が、台湾が十五夜の月のように丸く、円満でありますようにと「黄氏」は熱く挨拶した。
 18年間、黄氏自身が自分で企画し、出し物から、人選まで全部決めると言う。そして終わった次の日から来年の計画を考えていると熱弁した。
 音楽祭に参加した1,800人の自宅庭園広場の観衆の前で、また市長を始め多くの要人も参加していた。

 


※主催者、黄家当主「黄崑虎」会長。84才と言うが、
貫禄のある台湾の紳士。

 音楽祭開催前の黄崑虎会長の挨拶

「皆様ごきげんよう。ようこそ御来場ありがとうございます。私がこの音楽祭を開催してきた目的は、この丸い月の下で、この場において、音楽を楽しみながら、皆様が優しさに包まれる体験をされて、また“少しばかり”の感動をお持ち帰り頂きたいという思いから始めました。皆様、是非、お楽しみください。」

 1,800人の集客から大変な拍手が巻き起こった。

 そして、来年、台湾国総統に立候補する予定の「蔡英文」氏の代理人の挨拶

「皆様コンバンハ。先程、黄会長の元気の秘訣は何ですかと、聞きましたら、黄会長から、私は84才になりましたが、気持ちは60才を超えていません。やっぱり、自然を愛し、この広い庭の家に囲まれながら、精一杯生きて来たからかも知れないとおっしゃった。私も黄さんと同じように、台湾のために頑張りたい!黄さんは、先程、小さな感動とおっしゃったが、私は、大きな感動をこの音楽会で得られると信じています。
 来年のこの音楽会もきっとより明るく、すばらしいお祝いの音楽会になることを期待しています。」

 日本時間と台湾は時差が丁度1時間。この音楽祭が始まったのがPM7:20、日本時間PM8:20。それから約4時間、終わったのがPM11:30、日本時間でAM0:30、真夜中であった。
 この音楽会が始まる前には、曇っていたが始まると雲が引き、まん丸の月が現われた。
 そして黄会長の挨拶となった。音楽会ともなると、半分近くの人が男性はネクタイ着用で、女性はドレスなど着飾っていたが、平服で参加された人もけっこういたようだ。

 


※最初に挨拶する、台南市市長の「頼清徳」氏。
若いがやり手らしい。
 台湾時間PM7:20より、大変美人の陳淑貞さんの司会により、会は始まった。
 最初に台南市市長の「頼清徳」氏、次に「黄崑虎」会長前記の通りだが、この音楽会での肩書は「前總統府國策顧問」となっていた。もちろん前總統とは「李登輝元総統」のことである。
  一連の挨拶が終わり、70〜80人はいたと見られる。「台湾芸術交響楽団」の団員70〜80人が合唱団に加わった。地球に一番接近したという、中秋名月に近いこの日にまん丸の月を見上げながら、クラシック音楽とコーラスの歌声を聞き、この台南市の「黄家」の庭で1,800人の中心の最前列近くには、南国のやし(?)の大木が並び、南国の花が咲き誇る中庭で、なんとも優雅な月見と音楽会だろうか。一瞬、竜宮城を思わせる雰囲気であった。

 内容も多彩で、交響楽団の演奏に2組の合唱団、それに台湾民謡や、国立東華大学の学生達による原住民の民俗舞踊があって、なかなか見ることのできない舞であった。又、鋼琴の伴奏やハーモニカによる演奏は観客を楽しませてくれた。

 

※黄家の野外コンサート。中庭の屋根の下で奏でる団員。

※1,800人の観衆で埋まる、黄家の中庭。空にはまん丸の月とクラシック音楽と台湾の音楽。

※台湾の民族舞踊に古き民謡を歌う団員達。台南の黄家の夜は更ける。

※大きいものから小さいものまで様々なハーモニカ。いろいろな音色を奏でる。

※音楽祭が終わり、疎らな人と、椅子と舞台。感動がまだまだ残っているようだ。

 この夜の雰囲気を書面ではとても表現することは出来ないが、写真等を見て想像してほしい。親日の台湾にお世話になった黄家に御礼を伝えたい。

追記
 「NPO育桜会(理事長:中野正人)」と言う会で会員として参加し、「台湾之友会」交流による台湾行きで、松澤事務局長のお世話によるものであった。又、この「台湾之友会」は前会長は「李登輝」元総統で、引き続いたのが「黄家」の当主の「黄崑虎総会長」である。
 台湾にはこの「育桜会」で日本の桜を数千本移植した実績があると言う。

 

平成27年11月8日 記


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