『歴史探訪』(120)
江戸川木材工業株式会社
取締役 清水 太郎
2016年正月4日、仕事始めに於ける社長の訓示は、以下の様な内容でありました。
今年の干支は申、サルに因んだ諺は「見ざる聞かざる言わざる」、「サルも木から落ちる」これは「世の中に完全なものはない」という譬え。
経済は、中国減速(7%)の影響あり。原油価格バレル50ドルを割る。1バレル生産のコスト サウジ7ドル、ロシア40ドル、米30ドル。従ってロシア厳しい。
アベノミクスは大企業にはプラスに作用するが、中小企業にまで浸透するか?、所得を上げ、個人消費で内需を喚起することができるか?、一億総活躍策は今一、米経済よし、レートプラス0.25%、プラス1%目標、11月大統領選挙に向けて景気を上げなければならない。欧州はギリシャ、スペイン、ポルトガル苦しい、独も中東からの難民対策で厳しい。日本2020東京五輪は通過点。3月26日、北海道新幹線 東京−新函館北斗開業、4時間2分、リニア新幹線着工、2028年品川−名古屋間開通、45分。……お話はまだまだ続きますが、ここで昨年読んだ小説、吉村昭著『闇を裂く道』を思い出しました。吉村昭氏(1927〜2006年)は私の高校の13年先輩です。氏が未だ健在な頃、同窓会の機関誌で、講演速記録を読んだことがありました。その後、同期の友人が氏に家庭教師をしてもらったことや、以前同じゼネコンに勤務していた友人からの年賀状で吉村昭氏の小説を愛読していることを知り、次第に親しみを感じるようになりました。あとがきに登場する、氏が取材でお世話になった方35名の筆頭に記してあったN氏と小生の間に昔接点があったことが分かり、これは後述します。
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以下、大正7年にタイムトリップし、吉村昭氏の案内で歴史探訪します。
丹那トンネルは、大正7年(1918年)着工、5年の工期と、予算トンネル2,400万、鉄道770万でスタートしましたが、これがなんと15年11ヶ月10日(5820日)と3倍以上かかり、労務者延べ250万人(1日平均430人)を要しました。
当時東海道線は国府津から御殿場経由で沼津に繋がっておりました。この間は勾配が急で機関車が登るのが厳しく時間もかかりました。
熱海は早くから避暑地や保養地として栄え、政府大官や財界要人が別荘を建て、皇室の御用邸もありました。新橋−神戸間は当時17時間を要しておりました。これを短縮することが、国家繁栄の喫緊の命題として丹那トンネル堀進工事は始まりました。
何故、工期が遅延したのか。その主な原因は、@度重なる地盤崩壊事故により、生き埋め、救出、再開で述べ67名の死者を出した。A大正12年9月1日、関東大震災による事故。B昭和5年11月26日 北伊豆地震。C大正9年4月1日 堀進の工法を誤り、自然崩壊による事故により17名が生き埋めになる事故もあった。D水脈に会い、出水、農地の水源が枯渇、農民400名が莚旗を持って押しかけ、その対応と補償、等。
明治38年(1906年)日露戦争に勝って国威は高揚しました。1914年欧州で始まった第一次世界大戦では,日本は戦場にならずに、大戦景気で湧きましたが、その後の反動で物価は騰貴し、昭和の恐慌もありました。昭和11年2月26日、二・二六事件があり、これを機に軍部が権力を握り、中国進出、リットン調査団が来日、侵略と判断され、経済封鎖を受け、1941年、太平洋戦争に突入します。
ここまで綴ってきて、この物語 −『闇を裂く道』は一体どこまで続くのだろう、と思い始めました。私は勝手に、丹那トンネル完成で幕、と思い込んでおりましたが、15章の終幕は、昭和39年7月1日、新幹線が完成し、「ひかり」が東京を発車した日が完であります。従って闇を裂くの闇とは、丹那トンネル工事に於ける、度重なる事故、開通後、日本を覆う国際情勢の闇、太平洋戦争という闇をくぐり抜け、新丹那トンネルという最後の闇が明けますと、そこには復興と平和の象徴と云われた、1964東京五輪がありました。
あとがきを読んでおりましたら、吉村氏の取材に多大な貢献をされた、34名の筆頭に奈須川丈夫氏の名前がありました。氏は私が学卒後5年間勤務したH組の上司でありました。東京五輪の後、私は淀橋変電所から、シールドと云って、茶筒のような鉄のパイプ(直径2.7m)を埋め込み、油圧で推進し、抜けた跡に鉄とコンクリートで副都心まで電力を供給する工事に携わっておりましたが、その時トンネル工事のベテランであった奈須川丈夫氏が指導に来て下さいました。
時は移り変わり、今、日本丸は、内外に多くの問題(少子高齢化、東京一極集中、地球温暖化、震災の復興、原発存続の是非、沖縄基地、憲法改正等々)を抱えながらも、2020年東京五輪を一つの契機として邁進して居りますが、私としては、元気なうちに、生涯2度目の東京五輪を見ることを楽しみに、毎日を精進して過ごしたいと念じて居ります。
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