東京木材問屋協同組合


文苑 随想


「歴史探訪」PartU−C

江戸川木材工業株式会社
取締役 清水 太郎

 去る10月10日、横浜市G氏宅で、ラ・ロンドの会がありました。当日の催しは、能楽師S氏による能についてのお話しで、前座を勤めて下さったのが夫人H氏による箏の演奏でありました。
 能の創まりは室町時代世阿弥によると云われて居りますが、実は関西各地で演じられていた「猿楽」が足利義満という後援者を得て大成されました。江戸時代、武士の嗜みとして謡を習うことが流行し、大名家はお気に入りの流儀の役者をお抱え能楽師として雇っておりました。明治になって後援者を失いましたが、独自の工夫によって今日まで続いています。
 能の三要素は、謡、舞い、囃、(笛 大鼓小鼓 太鼓の四種類の楽器)です。
 雛段にある五人囃しは、上記四種の楽器の奏者と謡いの五人です。11月8日渋谷の能楽堂でS氏が主催する催しがあり、出し物は「安達原」です。
 10月28〜30日は恒例の東京農業大学の収穫祭があり、茶道部からは丁重な招待状が届きました。外部の食品、出店は相変わらず人気で、野菜、大根、味噌等の無料配布には、長蛇の列が続き、寒い外気に負けない熱気に溢れております。校舎内の演奏、展示も、毎年時代に則した工夫が見られます。林業、農業の将来についても、普段学んだ知識に基づき、未来の展望も熱く語る姿勢は説得力があります。

 10月20日は「東海道ネットワークの会21」の例会があり、静岡駅10時に会員20名が集合しました。90才になろうという手島会長がバスの中で、鎌倉時代からの歴史について語って下さいました。
 清見寺の本堂には初めて入れて頂き、当寺の歴史に占める重要性について一層理解を深めることが出来ました。江戸時代に何度も来日した朝鮮通信使は必らず立ち寄り足跡を残しています。家康手植の臥竜梅の横には与謝野晶子氏の歌碑があります。「龍臥して法の教えを聞くほどに梅花の開く身となりにけり」メモっていると、秋庭元会長が「意味深(長)な歌だね」と声をかけて来ました。
 明治の文豪 高山樗牛はここで「鐘の音はわがおもひを追うて幾たびかひゞきぬ…」と残した表記もあります。

水口屋・・東海道の宿・水口屋ものがたり

清見寺・東海道屈指の名刹

 本堂の北面の斜面には五百羅漢像がおかれこれらの多彩な表情に友の顔立ちを見付けた藤村は自伝小説『桜の実の熟する時』を21才で発表しています。
 徒歩で坐漁荘へ。ここは西園寺公望(1849〜1940年)の別荘で、一部は明治村へ、移築されました。氏の晩年は「興津詣」と称され訪れる政府要人は後を絶たず、後年の大磯 吉田茂邸を彷彿させます。
 由比の開花亭では当地名物桜えびをふんだんに入れた料理に舌鼓を打ち高源寺へ。ここは梶原景時の供養塔があります。
 鉄舟寺 鉄舟は旧幕臣で明治以降静岡藩権大参事を務めました。討幕に向う西郷隆盛と勝海舟の会談を実現し、江戸城の無血開城を果たしました。
 龍華寺 手島会長の計らいで特別に昇殿させて頂き、お茶の接待まで賜りました。寛文10年開山、徳川家、皇室との繋がりも強く、壇家の寄進による国宝級の天井の絵画、襖の装飾は素晴らしい。明治の文豪高山樗牛はこの寺を「観富の風光本邦無二天下第一観也」と絶賛し望んでここに葬られました。
 本日最後の目玉 三保の松原はユネスコの世界文化遺産認定後訪問客が倍増し、半数以上が外国人です。砂の上に設えられた木道は人が列を成して行き交い、総延長7粁、3万本の松林と駿河湾の眺めは美しい。残念なことに生憎の天気でこんなに近くに来て富士山は拝めませんでした。

坐漁荘・日本政治を動かした元老の別邸

鉄舟寺・山岡鉄舟による再建

 11月8日、渋谷能楽堂で能楽師S氏主催 能の会がありました。先日、横浜のG氏宅でS氏による懇切丁寧な説明を賜りましたので、人生初めての能の鑑賞もすんなり入ることが出来ました。
 第一部 仕舞「岩船」ではS氏長男Y君(5才)が見事主役を勤めました。その後、M武蔵野大学名誉教授の解説があり、次の二幕も分かり易く、興味深く入ることが出来ました。
 第三幕 仕舞「遊行柳」は、20年近く前、奥州道中で歩いた芦野宿の田園地帯が舞台になっておりました。西行法師に憧れて足跡を奥の細道で芭蕉が追った田園の中に1本の柳があります。芭蕉はここで「田一枚植ゑて立去る柳かな」という句を詠み、柳の傍に木札があります。「遊行上人が白河の関を越えて陸奥に入ると老人が現れ、遊行聖が通った古道と朽ち木の柳を案内すると申し出、柳の朽ち木を西行がここで休んで歌を詠んだと教える。上人が十念(念仏)を受け取ると柳の塚に消えて行く。夜念仏を唱えていると柳の精が現れ十念により草木までも成仏できたことを喜び柳に纏わる故事を語ります。やがて夜が明けると翁も柳の葉も消えて朽ち木だけが残った」以上インターネットより。
 最後の四幕 能「安達原」は東北二本松の辺りが舞台です。数人の山伏が、日が暮れて一軒家に宿を乞います。家主の女性は糸を紡ぐ仕事をしており、客人をもてなす為に薪を取りに出掛けます。留守中、寝屋は絶対に覗かぬよう云い置きましたが、見るなと云われると、見たくなるのが人情。恐る恐る覗くとそこには人骨が天井までうず高く積まれておりました。女主人は人を喰う鬼であったのです…」

龍華寺・文豪高山樗牛ゆかりの寺

三保ノ松原・・世界遺産

安達原(月岡耕漁『能楽図絵』)
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/


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