東京木材問屋協同組合


文苑 随想
「見たり、聞いたり、探ったり」 No.202

通算No.354
青木行雄

新年あけましてお目出度うございます
今年もよろしくお願い致します

平成29年 元旦 青木行雄


〜歴史探訪 一人旅〜
第60次式年造替 奈良「春日大社」正遷宮
奉祝行事に参列
青木行雄

 平城京の遷都を機に建立されてから13世紀余りの期間を経た、2015年3月から2016年の11月にかけて、春日大社では20年に1度の式年造替が執り行われた。式年造替のこの行事は今回で60回目にあたる。造替と言えば通常は全面的な建て替えを意味するが、春日大社の場合、本殿はいずれも江戸末期に改めて造営されたものであり、その後、国宝にも指定されたことから、今では全面的な建て替えは行われず、大掛かりな改修工事が行われ、今回の式年造替も本殿の骨組みを残して檜皮屋根が葺き替えられ、朱の塗り替えだけでなく、壁面の絵柄なども描き直されている。2016年の10月29日には、本殿の修理完了を祝う「立柱上棟祭」が執り行われ、衣冠姿の工事関係者らが本殿の屋根に上り「陰哉棟」「陽哉棟」と、掛け声に合わせて棟木を木槌で打ち付けた。その後、11月6日夜には「正遷宮」で昨年3月から移殿に移されていた「ご神体」が本殿に戻された。
 20年に1度の周到な行事であるだけに春日大社はメディアから脚光を浴び、又、一般観光客も押し寄せて大変な賑わいを見せている。

 この式年造替に伴って執り行われた「お砂持ち行事」は2016年10月6日から23日まで開催され、その期間に限り本殿前特別参拝が許された。一般の参拝者らは襷を首にかけ、袋の中に入った白砂を本殿前に敷き詰めた。参拝者は20年に1度しか通ることの出来ない中門をくぐり、内院まで足を運びそこで鮮やかに塗り替えられた4連の本殿を目の当たりに拝観して感動する参拝者も多くいたようだ。
 25m程の幅である本殿であるが、壁面には高さ1.5m、幅約2mの「御間塀」があり絵馬板とも言われている。そこには獅子や馬、人の姿など、創建当時からの絵が5面に渡り描かれている。その内3面は舎人が神馬を引く絵画である。その他、「獅子牡丹図」と竹に雀が描かれた壁画があった。この本殿の美しさと共に、これらの壁画も見た人々を魅了した事と思う。
 一般的に神社は本朱が3割、残りは丹塗りという伝統が踏襲されてきていると言うが、春日大社の場合、本朱と呼ばれる水銀に由来する顔料のみで塗られることから、他の神社とは赤味の度合いが異なり、深い朱色が冴え渡り、明るく鮮やかな美しさを誇る本殿に蘇る。見事(美事)ですばらしい。

※春日大社夜の本殿。この奥に4柱の神様が
鎮座している。

※朱色が鮮やかに塗られ、見事な出来上がりである。

 縁あって、奈良の春日大社に奉参することになり、この度、このような式年造替に参列する事が叶い、この上ない感動と幸せを身を持って感じている1人である。

 この春日大社について、もうちょっと詳しく内容を記してみたい。

 奈良の春日大社は、三重の伊勢神宮、島根の出雲大社、そして東京の明治神宮と並び、広大な敷地と多くの参拝者を誇る有名な神社である。全国におよそ3,000余りの分社を持つ春日神社の総本社であり、「古都奈良の文化財」の一つとして世界遺産にも登録されている。春日大社で催される「春日祭」は、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに三勅祭の一つに数えられている。春日大社は標高283mの御蓋山の緩やかな裾野に建立され、隣接する花山、芳山と合わせて周囲一帯は春日山と呼ばれている。そしていつしか御蓋山は春日大社の御神体となり、その山頂は今も禁足地となっている。

※正面の中門。奥の左右に4柱の神様が鎮座している。

※当日一般客も中に入ることが出来た。

 御蓋山からは湧水が豊かに放水され、古代より人々の生活を育んで来た。その境内の随所に鹿が放し飼いされているのは、鹿島の神が白鹿に乗って、飛火野と呼ばれる春日山の丘陸地に降臨したという伝承に由来するといわれる。鹿は神をお連れになっただけではない、牡鹿の角は毎年生え変わり、その繁殖力の強さから、鹿は生のシンボルとなる吉兆として神聖視されて来たのである。その為、平安時代では春日山一帯では狩猟が禁じられ、神社周辺の春日原始林が聖地化され、それ以降、野生の鹿は保護されて来たのである。「春日曼荼羅」と呼ばれる神道美術の傑作の中に、室町時代に描かれた「鹿座神影図」がある。そこには春日山を背景に、立派な白鹿の姿と鞍の上に立つ榊の頂点に大きな鏡が載せられている光景が描かれていると言う。
 中央豪族として忌部氏と共に政権に影響力を持ち、かつ、祭祀活動を司っていた中臣氏の氏神を祀る春日大社は、768年、平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建された。中臣鎌足が亡くなられた際、その氏寺として669年に興福寺が奈良に建立されてから、丁度1世紀が経った時のことである。その後、中臣鎌足の子孫は藤原姓で知られるようになり、中臣氏の中でも一大勢力になっていたことから、必然的に春日大社も藤原一族の氏神を祀る神社として知られるようになった。そしていつしか春日大社は興福寺と一体化して見做されるようになり、次第に大きな勢力を誇示しながら、その影響力は奈良時代から平安時代にかけて、大和一国全体までに及ぶようになったのである。

 春日大社を支えた藤原一族について調べてみた。
 春日大社の創建の起源は、今からおよそ1300年前に遡る。奈良時代の初期、公卿出身の政治権力者として藤原家の栄華を極めた藤原不比等は、藤原氏の氏神である「武甕槌命」を鹿島神宮から奈良・春日大社の地に勧請し、春日神として祀ったのである。それは平城京が奈良に遷都された710年のことである。『鹿島宮社例伝記』によると、鹿島神宮が建立された時期は、武甕槌命が鹿島神宮に到来して神を祀った後に宮柱が建てられた神武天皇の時代まで遡える。よって鹿島神宮の建立からは既に13〜14世紀を経ていたことになる。その後、768年、藤原永手により壮麗な社殿が造営され、それが春日大社の正式な創始と考えられるようになった。
 藤原不比等によって春日山の聖地が見出され、一族の祖である武甕槌命が祀られた平城京の始まりからおよそ60年近くの年月が費やされた後、藤原永手によって春日大社が建立されたのである。
 春日大社はこのように藤原氏(中臣氏)の祖先である建国の神々が祀られている。

※祭日、1300年前の姿で行事が行われた。

※「林檎の庭」の広場で行事が行われ、厳かな舞を披露する。

※春日大社第60次式年造替、正遷宮直会(祝賀会)。

※直会(祝賀会)会場風景。約600人が集合した。

 このように本殿に建てられた4つの神殿のうち第一殿は国生みの話の中でも剣の武威と神宝の存在に関わり、大国主の国譲りの際に大きな貢献を果たした「武甕槌命」が鹿島神宮より勧請されている。そして鹿島の神と共に第三殿と第四殿では枚岡神社から中臣氏(藤原氏)の祖とされる「天児屋根命」と、その「比売神」も勧請された。
 武甕槌命を第一殿にて祀ることにより、春日大社の創建に関わった藤原一族と武甕槌命との血縁関係が誇示されている。つまり藤原氏は自らの先祖神を勧請することにより、時を隔てた飛鳥・奈良時代においても、鹿島から離れた奈良という新天地にて祭壇を築き、神を崇める社を改めて建立することができたのである。こうして藤原一族はいつの時代においても鹿島の神に結び付く有力な公卿としてその名を馳せ、武甕槌命の子孫として奈良時代においては政権を極め、古代豪族として国の発展に寄与したのである。
 藤原氏と鹿島神宮の関係においては、神託の存在があることでも知られている。

 第10代崇神天皇の時代、鹿島の神が大阪山に現われ、天児屋根命を祖とする中臣神聞勝命に神託が与えられたことが伝承されているという。記紀に登場する祭司の中でも、最も古い国生みの時代に活躍した天児屋根命は、天岩戸に天照大神がお隠れになった際に祝詞を唱えた祭司として知られる神である。この神託の結果中臣神聞勝命は鹿島中臣氏の祖となり、鹿島新宮の祭祀を司ることになったのである。祭祀としての責務は子孫へと引き継がれ、後世に伝授されていくことが古代の仕来りであったと考えられることから、中臣氏(藤原氏)が鹿島神宮に遣わされたのは、鹿島で祀られている国生みの父、武甕槌命や天児屋根命と中臣氏が血縁関係にあったからに違いないでしょう。中臣氏の祖が天児屋根命であることは『古事記』にも記されているといい、一族は祭祀の責務を担った古代豪族であったことがわかる。

 本殿の第二殿のことを記しておくと、鹿島神宮の近く、香取市の「香取神宮」の御祭神である「経津主命」が勧請されている。第一殿の武甕槌命と共に葦原中国の平定に遣わされたのが経津主命であり、共に出雲の国にて十握剣を逆さまに大地に突き立てたことから、両者は刀剣神と呼ばれている。この二神が、春日大社の背景となる重要な史実に関わっているからである。

 この度、正遷宮に参列の為、奈良に行った折に江戸川区鹿骨出身の方に同席してお聞きした話であるが、昔、鹿島神宮から奈良に向かう途中、何頭かの鹿がこの鹿骨で疲労したり亡くなった鹿の為に手厚く面倒を見た事から名が付いたらしく、鹿骨神社もあると言う。

 春日大社 第60次式年造替(春日大社パンフレットより)

 春日大社では1年365日、2,200回以上のお祭りが奉仕されています。そうした中での至高最上の祭典奉仕が、この「式年造替」です。

 「式年」とは「定まった一定の年限」をあらわし、「造替」とは「社殿を造り替える」ことを意味します。
 春日大社では古来より、ほぼ20年に1度、御本殿の造り替え(明治以降は社殿が国宝・重文のため御修繕)を連綿と行い、今回は60回目となる節目の御造替となりました。

 御造替では神様に一時御仮殿にお還り頂く下遷宮(仮殿遷座祭)を平成27年3月27日に古儀により斉行。そして御本殿の修理、また御殿にお納めする御神宝・御調度が完成し、元の御本殿にお還り頂く正遷宮(本殿遷座祭)が平成28年11月6日に無事斎行されました。

 春日大社の式年造替は様々な儀式を通して、神様の尊さを認識し、更に次の世代に御神威を伝え継ぐ行事であると共に、御神宝の調製などにより古代からの技術が伝承される、長い歴史と伝統に培われた貴重な文化遺産であり、日本人の精神の原点であります。

 先人たちの努力により継承されてきた春日大社の式年造替。今回も多くの心ある方々の尽力により、大神様への最高のご奉仕が叶いました。厚く御礼を申し上げます。

春日大社

 20年に1度のこの「正遷宮」に遭遇した運命と、感動に感謝し、日々新たに、毎日の出来事に精進したいと思っている。

参考資料
春日大社 パンフレット
 「日本シティジャーナル」
 『日本史年表』 岩波書店

平成28年12月04日記


前のページに戻る

Copyright (C) Tokyo Mokuzai Tonya Kyoudou Kumiai 2015