千秋楽〜最後の取組、東〜 白鵬〜〜 西〜 稀勢の里〜〜 の呼出し、「拓郎」の気合のこもった声に行司の「式守伊之助」による仕切で両者立合からにらみ合って始まった。「ノコッタ、ノコッタ」の声に白鵬たちまち土俵際まで押し進む。稀勢の里、後がない土俵際。押し出されたかと思った瞬間、稀勢の里は身体を左にかわし、白鵬は、うっちゃられて土俵外に飛び出した。一瞬の出来事だった。勝った瞬間の稀勢の里の顔はなんともいいようのない誉れの顔に、やったぞと言いたそうな王者の顔に変貌した。
近年、真逆・真逆(間坂)の出来事が多く起きているが、初場所も真逆か、いや実力であったのか。
平成29年1月場所での幕内力士、42人中の内訳は、横綱モンゴル3人を始め、計モンゴル人9人。日本人27人。ジョージア2人、エジプト、ブルガリア、ブラジル、中国各1名。合計42名になる。そして、今回より、横綱、19年ぶりの日本人「稀勢の里」の誕生で、横綱4人となったのである。
※千秋楽の国技館前の様子。晴天の青空が「稀勢の里」
を応援しているようだった。
もう少々、1月初場所優勝までを再現をしてみよう。
14日目。13勝を挙げた大関「稀勢の里」の初優勝が決まった。平幕「逸ノ城」を寄り切って1敗を守り、ただ一人2敗で追っていた横綱「白鵬」が平幕「貴ノ岩」に寄り切られた。日本出身力士の優勝は昨年秋場所の大関「豪栄道」以来である。
初土俵から89場所目での初優勝は史上4番目の遅さとなったと言う。新入幕から所要73場所での初制覇は史上2番目の遅さらしい。新大関から所要31場所での初優勝は昭和以降では最も遅いと言う。
※両国国技館の入口。完売御礼の看板が目立つ。
※稀勢の里・白鵬、両者立合。
※両者・ハッケヨイとノコッタ、ノコッタと仕切る「式
守伊之助
14日目の一番は「逸ノ城」との取組、もう勝負に弱い昔の姿はなかった。一方的な内容で「逸ノ城」に寄り切りで圧勝し、ゆうゆうと引き揚げて来た支度部屋、結びの白鵬戦が始まると、テレビモニターと報道陣に大きな背中を向け無言でいた。
付き人が「横綱が負けました」と伝えると、何度かうなずいたと言う。ここまで長かったかを聞かれると、「そうですね。うれしいです」。本場所中は常に真剣勝負で黙して土俵に上がるのが「稀勢の里」の流儀であるが、普段通り言葉は少なく、声も小さかったようだ。そして思い直したように「また明日集中したい」。千秋楽の白鵬との一番を頭に描いていたのであろう。テレビにも写っていたが、右目から流れた一筋の涙が万感の思いを物語っていたように見えた。
途中で2横綱1大関が休場し、琴奨菊が大関陥落して、ほぼ30代が占める上位陣に急速な衰えが見えてきた中、30歳6ヶ月の「稀勢の里」は強さを見せる。初土俵から15年、土俵に上がれなかったのは2014年の初場所千秋楽の不戦敗(琴奨菊戦)のただ1回だけだと言う。
故障知らずだった「白鵬」も最近はケガが多くなり、計4場所を休場している。
22日の千秋楽、「稀勢の里」が耐えて楽日の結びを飾った。「白鵬」の出足に圧倒され、一直線に後退した「稀勢の里」、初優勝を果たした大関が力を見せたのは、俵に足をかけてからである。慌てず腰を落として残すと、左から押し潰すようなすくい投げ、立ちふさがってきた横綱を、土俵下まで投げ捨てた。
「我慢して、腐らずにやってきて本当に良かった」と涙ながらの「稀勢の里」、この1年、何度も賜杯のチャンスはあったが、昨年春場所と夏場所は連続で13勝を挙げながら届かず、12勝の名古屋場所も1差で逃している。ただ、優勝が遠のいても「来場所のためにやらないと」と稽古場で体を動かし、気持ちは切らさなかったという。
※千秋楽には大入袋が出る。
※場内、満員御礼の会場。横綱土俵入り。
中学卒業後に入門した、たたき上げの「稀勢の里」。「必死にやってきたことが、今につながっている」と実感する「稀勢の里」。だから勝っても負けても、本場所中でも巡業中でも「一日一日やらないと」と自覚しながら稽古に励む「稀勢の里」。誠実な努力は、新春の土俵で実を結んだのである。優勝への重圧が増す後半戦は格下相手に苦戦した。だが、不利な体勢でも立て直し、粘り強く自分の形で乗り越えた。初土俵から休場がただの1日だけという頑健な肉体はまだまだ衰えてはいない。
稀勢の里・寛。本名萩原寛。寛少年は1986年(昭和61)7月3日、茨城県牛久市出身。2002年(平成14)春場所で「萩原」のしこ名で初土俵を踏む。2004年(平成16)夏場所で新十両に昇進、17歳と9ヶ月だった。そして同年九州場所で新入幕(18歳3ヶ月)はともに貴乃花(当時貴花田)に次ぐ昭和以降2位の年少記録であった。そしてその新入幕と同時に「稀勢の里」に改名している。2011年(平成23)九州場所後に大関昇進した。殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞1回。
稀勢の里のプロフィール
(平成29年1月現在)
し こ 名 稀勢の里 寛(ゆたか)
本 名 萩原 寛
出 身 茨城県牛久市
部 屋 田子ノ浦部屋
生 年 月 日 1986年(昭和61年)7月3日
年 齢 30歳
身長・体重 188cm・175kg
得 意 左四つ・寄り・突き
家 族 独身
趣 味 アメリカンフットボール等のスポーツ観戦、散歩
稀勢の里の歩み
2002年(平成14) 春場所 「萩原」のしこ名で初土俵
04年(平成16) 初場所 17歳6ヶ月20日で幕下優勝。昭和以降3位の年少記録
夏場所 17歳9ヶ月で十両昇進。昭和以降2位の年少記録
九州場所 18歳3ヶ月で新入幕。昭和以降2位の年少記録
しこ名を「稀勢の里」に
05年(平成17) 秋場所 初の三賞となる敢闘賞受賞
06年(平成18) 名古屋場所 新三役昇進。8勝7敗と勝ち越し
10年(平成22) 九州場所 白鵬の連勝「63」で止める金星
11年(平成23) 九州場所 場所前に師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)が急死
3場所連続2桁勝利で場所後に大関昇進
13年(平成25) 夏場所 初日より13連勝後、連敗し優勝逃す
14年(平成26) 初場所 足指を痛め、千秋楽に初の休場
16年(平成28) 九州場所 初めて3横綱を総なめ。この年69勝で年間最多勝を獲得
17年(平成29) 初場所 初優勝を飾る。通算成績764勝460敗
※優勝して、NHKの記者会見を受ける稀勢の里。
※優勝旗を受ける稀勢の里。
この初場所での「八角理事長」の話
「14勝は立派だ。あれだけの寄りをよく残した。これからは横綱として皆を引っ張らなければいけない。それだけ責任が重くなる」と語った。
現役力士の優勝回数(平成29年1月現在)
@ 白 鵬 37回
A 日馬富士 8回
B 鶴 竜 3回
C 照ノ富士 1回
D 琴奨菊 1回
E 豪栄道 1回
F 稀勢の里 1回
2017年(平成29)1月25日、日本相撲協会は両国国技館で臨時理事会を開き、初場所で初優勝を飾った大関「稀勢の里」(30歳)の第72代横綱への昇進を正式に決定した。
日本出身力士の新横綱昇進は、1998年(平成10)夏場所後の3代目若乃花以来、19年ぶりという。相撲協会から春日野理事と審判委員の高田川親方が使者に立ち、東京都内のホテルで「稀勢の里」と師匠の「田子ノ浦」親方に満場一致での横綱推挙を伝えると、稀勢の里は「謹んでお受けいたします。横綱のに恥じぬよう、精進いたします」と口上を述べたという。
※万感の思いを胸に良い顔だ。
※千秋楽ですべて終った後に土俵の真中に埋めてあっ
たお札(神様)を神事にしたがい掘出す所。
稀勢の里は、貴乃花(当時貴花田)に次ぐ昭和以降2番目の若さとなる17歳9ヶ月で新十両に昇進したが、2004年(平成16)九州場所で新入幕を果たしてから横綱昇進までは73場所を要した。これまでは三重ノ海、琴桜の60場所が年6場所制となった1958年(昭和34)以降のスロー記録だった。
伝達式後、記者会見に臨んだ新横綱は「より一層気が引き締まった。実感はこれから湧いてくると思う。口上は自分の今の気持ちをそのまま伝えた」と話したという。
新横綱の誕生は2014年(平成26)春場所後の鶴竜以来である。大阪で3月12日に初日を迎える春場所からは、いずれもモンゴル出身の白鵬、日馬富士、鶴竜の3人とともに角界の最高位に並ぶが、とにかく頑張って欲しい。
横綱、貴乃花以降の伝達式での口上を調べてみた。
1944年(平成6)貴乃花 相撲道に不惜身命を貫く所存です
1998年(平成10)若乃花 堅忍不抜の精神で精進します
1999年(平成11)武蔵丸 心技体に精進致します
2003年(平成15)朝青龍 相撲道の発展のために頑張ります
2007年(平成19)白 鵬 精神一到を貫き、精進します
2012年(平成24)日馬富士 全身全霊で精進します
2014年(平成26)鶴 竜 一生懸命努力します
2017年(平成29)稀勢の里 横綱の名に恥じぬよう、精進いたします
3代目若乃花以来の日本人横綱の誕生で、19年目と言うが、「稀勢の里」には口上のごとく横綱の名に恥じぬように、精進して、日本の国技・相撲を頑張って日本の将来に繋げて欲しい。
平成29年2月5日 日記
参考資料
日本相撲協会パンフレット
日本経済新聞
読売新聞
産経新聞
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