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2024.04.07

加工・製材・流通

1馬力

戦時中、木材統制法により解散した材木屋が、戦後 新たに法人を設立、木材業を始めたころ(昭和23年前後)

 

製材工場は丸太を堀(水面貯木場)から引き揚げる、高低差を稼ぐため、各貯木場に水門が設けられ、干潮時の水位にしていたため、満潮時 水門番が酒飲んで寝込んでいると、町には水が溢れてしまっていた

 

 

 

 

製材所は、水位調整を水門で行っていたが、運河に面した問屋筋は、そうはいかない

 

 

まだまだ木材輸送の主流は舟運、問屋は、護岸に切り込みが入っており、そこから歩み板で担ぎ下ろしていた (基本、荷降しは荷役屋の仕事)

護岸の切れ込みが見える

 

 

 

 

河岸(かし)の共同荷揚げ場に降ろした木材は、各店舗に馬車で配達されていた
木材は、林場に立てての保管が原則だったので、基本 担いで林場に張り付け

 

 

 

写真は
運河(仙台堀)北側と思われるが、橋は下を船が通るので高く 坂になっており 馬がへこたれて登らない

そういう時は、柱なら1本抜いて
馬子 (まご) が担ぐところを見せると、馬も気合が入って登ったそうな
頭がいいというか、イソップの塩を運ぶロバの話みたい

馬糞の処理は、近隣の材木屋がすくって、肥料にしたとか
材木屋に平スコップがあるのは、その名残だとか
都市伝説のような話 (フンコロガシは見たことがないそうです)

 

 

 

馬車は、のちのトレーラーである (牽引なので)
まさに1馬力

 

もちろん材木屋が馬を飼っていたわけでもなく、運送屋に頼んで運んでもらっていた
60年代になると、製材所にしか馬はいなかったそうです

なんとか木材運送部 の人に聞かないとよくわからないが・・・

当時、馬車は 10石 (2.78m3) 積みで、300円
オート三輪は 15石 (4.00m3) 積み 500円 だった
 
※わかっていると思いますが、通貨価値は当時(っていつ?) のものです

 


日通 (現 NX)は、戦時中全国の通運業者を統合した国営企業として成立、国鉄 (現 JR)は国有鉄道として残ったが、戦後 木材配給国策会社とは違い、民間企業として再出発した会社

馬力は、[Horse Power] HPはイギリス馬力 (英馬力)、[Pferde Starke] PSはフランス馬力 (仏馬力)
1PS=0.986HP
400馬力といったら、2×200頭立てって木場の橋から橋まで並んじゃうんですけど (カーブで曲がれない)

サンタの馬車 (トナカイですが) は8頭立て、名前は (ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、コメット、キューピッド、ドナー、ブリッツェン)、補欠が、赤鼻のルドルフ


 

おまけ 人力

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/22/Three-wheeled-bike.jpg

サイドカー?これに目立てしたバンドソーを積んで製材所を回ったり、玉切り道具を積んで走っているのは見たことがある

3mの木材を積んで走っていたと古老が言っていたが・・・

大八車は、道路標識でしか見たことが無い
リアカー曳いてる材木屋も見たことが無い

 

 

 

 

 

さくら

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