西暦 日本歴 記事
1590 天正 18 8月、徳川家康江戸に入る。家臣団、御用商人続々移住し来る。水利、土木工事に着手(小名木川開さくも)。このころ深川八郎右衛門(摂津の人・深川開拓の祖といわれる)、江東の湿地開拓を行うと伝えられる。(深川という地名の起源〉
1603 慶長 8 徳川家康江戸に幕府を開く。大規模な海洲埋立工事始まる。
1604 慶長 9 6月、江戸城大修築始まる。
1606 慶長 11 江戸城一応竣工。工事に従事した地方出材業者(駿河・遠江・三河・尾張・伊勢等徳川旧領地)で江戸に残った者に御府内材木商免許の特許が与えられ、日本橋材木町(のちの本材木町)を中心に水利に便利な南茅場町、三十間掘、八丁掘等に店を構う。(江戸材木業の起源)
1624 寛永 1 このころより幕府、領主の山林占有(御山)始まる。山仕出しの本〆(生産業者)発生す。
1627 寛永 4 深川八幡宮社殿復興(永代寺住職・長盛上人)。門前町の造成始まる。
1633 寛永 10 鎖国令
1635 寛永 12 参勤交代制確立、江戸人口急増。木材の一般需要高まる。
1641 寛永 18 江戸大火(桶町火事)。幕府(老中・松平信綱)は府内35ケ町の材木業者に材木高積を禁止し、材木置場として永代島(今の佐賀町あたりといわれる)を指定する。のち元木場と称せられる。く木場という名称の起源)
1657 明暦 3 江戸大火。(振袖火事、死者約10万)このころより、市区改正行われ、市街地は江東方面へ拡大す。このころ材木屋を含む20種の仲間(組合)の存在が古文書に現る(御触寛保集成、但し公認は亨保以降)。
1659 万治 2 大橋(両国橋)架かる。このころ竪川、大横川、南北割下水、十問川相次いで開通。
1673 延宝 1 幕府は同業者訴訟事件を機に、山方直仕切をなす者を問屋、御屋敷出入等ができる者を仲買と定め、両者を区別す。(木材問屋の発生。)問屋は荷主より口銭を、仲買より皮銀を受取る慣習生ず。このとし三井八郎右衛門、江戸に進出。
1680 延宝 8 松尾芭蕉、深川の庵に入。
1693 元禄 6 新大橋架かる。
1698 元禄 11 永代橋架かる。
1699 元禄 12 幕府は元木場の地所をとりあげ、代地を猿江附近に与う。
1701 元禄 14 猿江木置場の業者(15人といわれる〉はその地を返上し、代地として今の旧木場町あたりの土地約9万坪の払い下げを受け自力で造成を行う。(深川木場の起源)(完成は廷亨年間といわれる)爾来「木場」として定着す。江戸材木問屋は深川木場問屋(下り荷、角材・樽木を扱う)。
1702 元禄 15 12月、赤穂浪士、松坂町吉良邸打入り。
1703 元禄 16 南関東大地震
1704 宝永 1 板材木問屋と熊野問屋の両組合が連合し「板材木熊野問屋」となる。
1705 宝永 2 冬木屋弥平次、本拠を南茅場町より深川に移し冬木町と称す。(冬木弁天を安置)
1718 享保 3 このころ幕府は深川猿江に材木蔵をおく。
幕府は96種(材木を含む)の商人に株仲間を公認し、無届の営業を禁止す。株仲間に入津量及び相場書上を命じる。
1722 享保 7 享保の改革始まる。
1724 享保 9 川辺問屋のうち有力者の組合を「竹木炭薪川辺一番組古問屋組合」と称し業者は本所方面に多し。(以下川辺古問屋という)。
1732 享保 17 大凶作。江戸最初の打ちこわし起る。
1734 享保 19 一代の豪商紀国屋文左衛門、深川に没す。(他に享保3年説あり)
1743 寛保 3 川辺古問屋は新規参入制限公認の代償として「鯨船御鞘廻り御用」を引受ける。
1745 延享 1 当時深川木場問屋、板材木熊野問屋および川辺古問屋を江戸材木三問屋と称す。(主に前2者は「下り荷」を、後者は関東周辺材を取扱う)深川木場問屋に栖原屋、雑賀屋.伊勢屋、升由屋、村山屋等の名を見る。
1748 寛延 4 深川木場問屋組合の「仲間規定」定められる。「直売直買出売相互慎可申事」「材木入津高春秋御材木蔵御役所江御届可申事」など。川辺古問屋は共同にて深川木場問屋に一株をもち木場での角木販売を認められる。(角木販売出入訴訟事件)
1773 安永 2 分間江戸大絵図出版され、初めて深川木場の詳細記入さる。掘割と道路により15画に区画さる。三好町附近に材木問屋会所あり。
1781 天明 1 大地震
1783 天明 3 浅間山大噴火。
1787 天明 7 東北・関東大旱ばつ、百姓一揆、打ちこわし続出。
1789 寛政 1 寛政の改革(老中首座・松平定信)始まる。
1791 寛政 3 深川方面大水害、幕府は洲崎方面の居住を禁止す。
1807 文化 4 材木三問屋が連合して「三問屋組合」となる。
8月永代橋墜落の惨事起る。(深川八幡大祭札の日)
1810 文化 7 幕府は材木問屋鑑札を下付し、仲間の統制力強化さる。運上金、冥加増徴政策進む。
1836 天保 7 大飢饉
1841 天保 12 天保改革(老中首座・水野忠邦)始まる。株仲間は解散を命ぜらる。入札売買も禁止さる。
1851 嘉永 4 幕府(老中首座・阿部正弘)は株仲間の再興を許す。但し冥加を廃止し,新規加入も自由とす。当時深川木場問屋12名,板材木熊野問屋37名,川辺古問屋77名といわれる。(諸問屋株式銘書)
木場入札問屋と角屋同盟の入札売買契約成立す。
1852 嘉永 5 三問屋連合復活す。冥加も復活。
1853 嘉永 6 7月黒船来る。
1855 安政 2 江戸大地震、木材相場暴騰す。
1858 安政 5 深川の角屋同盟は北町奉行所に召喚さる。入札売買に参加を策する仲買の奉行所への働きかけによるものといわれる。
五ケ所仲買、合同して木場に開業し角屋に加入、入札に加わるも1年半にて止む。
1866 慶応 2 米価暴騰。民衆の打ちこわし始まる。木場も店を閉じるもの相継ぎ沈滞す。
1867 慶応 3 10月、大政奉還