西暦 | 日本歴 | 記事 |
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1868 | 明治 1 | 明治維新。商法大意を公布。株仲間廃止され新たに営業鑑札を下附す。木材も自由営業となるも取引の衰微続く。9月改元(慶応4年→明治元年) 江戸以来の三問屋の組合及び仲買組合の名称残る。(代表者を行事という)。 このころ大店、大阪屋(のちの久次米商店)、太田屋と共に木場に進出す。 |
1869 | 明治 2 | 紙幣の信用不安昂まる。物価高騰。 |
1870 | 明治 3 | 3月、寛保以来の「鯨船御鞘廻り御用」廃止。 |
1871 | 明治 4 | 東京府は木材業の鑑札制(免許制)を採用、組合結成を促すも賑わず、この年廃藩置県。 |
1874 | 明治 7 | 入札問屋と角屋同盟の入札売買深川に復活す。(以下入札同盟という) |
1876 | 明治 9 | 東京府は材木類売買心得規程を告示、府下材木商を問屋と材木渡世(仲買を指す)に区別、8月問屋業は鑑札を受けて木場組、竪川組が合して東京材木問屋組合(代表者を頭取と称す)を組織す。(届出者69名、入札問屋8名、角屋同盟19名、羽柄問屋16名、川辺問屋9名、本所問屋17名。倉持武七らの名も見える。)(以下問屋組合という)。 問屋組合は材木問屋業則を定む、問屋仲買兼業禁止条項を含む。 問屋組合はその口銭を一律に船積もの10%、近県もの12.5%と定む。 この年東京市場への出荷は新宮・尾鷲材を主力とする紀伊第1位。杉・桧の杣角丸太主体 |
1878 | 明治 11 | 3月、角屋同盟と角仲買との間に新約定とりきめらる。友田銀行深川にて開業。このとし東京府の第15区として深川区発足。 |
1878 | 明治 12 | 7月、在来の材木渡世(仲買を指す)は材木渡世組合として官許を受ける。(頭取、橋本富八) |
1881 | 明治 14 | 久次米銀行は深川出張所を出店。 問屋組合は荷主側の申入れにより、尾州桧丸太の七九掛算法を廃止し平石算法を採用する。東京大火(1月神田松技町より出火)深川木場にも延焼。 木材相場急騰するも5月早くも急落。 |
1885 | 明治 18 | 東京府は同業組合準則を発令す。これより諸組合は同業組合として再出発。同準則に基き15区3郡を区域とする東京材木問屋同業組合が認可さる。事務所を深川鶴歩町におく。組合員180名。材木渡世組合は東京材木仲買及小売組合に改組。12月、御料局設置(長官 肥田浜五郎) |
1886 | 明治 19 | 11月久次米商店初めて秋田材(原材)を船便にて東京に入荷。 |
1888 | 明治 21 | このとし市街15地区をもって東京市誕生。 |
1889 | 明治 22 | 久次米商店支配人武市森太郎独立開業す。(のちの東京材木問屋同業組合第3代目組合長、これにより木場にもノレン分け制度生れる。)この年、東海道鉄道全通す。 |
1890 | 明治 23 | 12月、第1次恐慌。このとし商法改正。 |
1891 | 明治 24 | 久次米銀行突然臨時休業、ために入札問屋、角屋同盟等恐慌に陥る。 入札同盟解散す。問屋組合、商法改正に伴い組合規則改正、事務所を深川鶴歩町より深川仲大工町に移す。組合員180名。 9月、上野、青森間鉄道(東北本線)全通。これより東北、北海道材多く入荷。 |
1892 | 明治 25 | 入札同盟復活す。(明治34年まで続く) |
1894 | 明治 27 | 7月、日清戦争勃発、木材業漸く不況を脱す。入札同盟初めて約束手形を用う。 |
1896 | 明治 29 | 6月、第2次恐慌。 |
1897 | 明治 30 | 東京材木仲買及小売組合は東京材木商組合と改称。 |
1899 | 明治 32 | 山上伝吉、木場に初めて帯鋸機械挽製材工場を創設。(機械製材の始まりは、明治21年福正材木店の5馬力丸鋸機と伝えらる)木挽職人の反対運動を誘発す。この頃初めて米材輪入さる。このころより約手取引盛んとなるといわれる。このとし、羽柄問屋は共立会を組識入札売買を行う。 |
1900 | 明治 33 | 3月、重要物産同業組合法公布。11月第3次恐慌。 |
1901 | 明治 34 | 1月、入札同盟解散。入札問屋ら中央材木会を組識す。 6月、三派連合(角屋入札同盟、共立会、中央材木会)入札始まる。木場大手業者(53名)をもうらし、その相場は権威のあるものとさる。 |
1904 | 明治 37 | 2月、日露戦争勃発。当時、東京市場に入荷木材の9割は木場で取引さる。 東京の問屋数、木場164、本所60、千住26、その他24。中小問屋増加す。 |
1905 | 明治 38 | 奥羽本線全通。秋田杉の木場入荷増加。5月、景気上昇に向う。9月、日露講和条約を不満として交番焼打事件起る。このころ羽柄問屋の入札会盛んとなる。 |
1906 | 明治 39 | 9月、重要物産同業組合法に基き、東京材木問屋同業組合(以下問屋同業組合という)発足。(初代組合長 木村許一郎)。組合員250余名。(組合事務所・深川仲大工町) 当時の製材工場数(全国)491となる。木挽職人の反対運動広がる。 6月、第4次恐慌。 |
1907 | 明治 40 | 三井物産、汽船により大量に北海道材入荷。材価低落す。これよりエゾ松が大衆材として普及し始む。3月、能代に秋田木材(株)設立。(社長・井坂直幹) |
1909 | 明治 42 | 問屋同業組合は初めて店員表彰を行う。この年名古屋の人浅野吉次郎発明のベニヤレースにより初めて合板を製造する。 |
1910 | 明治 43 | 東京材木商組合は東京材木商同業組合となる。(初代組合長 村田權次郎) |
1911 | 明治 44 | 11月、三派連合入札を廃止し、角材問屋入札組合結成さる。(大正8年設立の東京木材市場(株)の前身) 明治中期より紛争絶えなかった問屋・仲買の分業問題について、この年問屋同業組合と東京材木商同業組合は一応和解を行ったといわれる。 |
1912 | 明治 45 | 8月、改元(大正) |