西暦 日本歴 記事
1927 昭和 2 木場筏業組合設立。台湾銀行休業。金融恐慌起る。4月モラトリアム実施。
1928 昭和 3 外材(米材中心)の輸入旺盛。内地材保護のため関税引き上げ論台頭。(翌年改訂さる)木場ビル開館。
1929 昭和 4 秋、世界経済恐慌。深川中心に材木商の倒産次ぐ。(昭和5年50店と記録さる)。
1930 昭和 5 1月金解禁実施。11月、大手の木材問屋武市木材(株)倒産。木材業者未曽有の不況。
1931 昭和 6 9月、満州事変勃発。金輸出再禁止。好況に向う。このころより木材の水運からトラック運送に転換著しく取引先も広域化す。木場問屋の近郊出店多し。
1932 昭和 7 農業恐慌。五・一五事件起る。11月、山の手の仲買小売商有志、大東京木材商連合組合を設立。(昭和9年大東京木材商業組合となる。戦後の新東京木材商業協同組合の前身)
1933 昭和 8 このとしより京浜市場入荷量は内地材が優位を占む(53.4%)。
1935 昭和 10 輸入防圧政策進む。米材の輸入大巾減少。この年、東京入荷694万石(輸人材175万石、外地移入材114万石、内地材405万石)。年末の木場問屋在荷、近県材50万石、東北材25万石、秋田材6.7万石、東海材12.5万石、紀州材4.3万石、東京製品3.6万石、計102万石。
1936 昭和 11 2月、二・二六事件発生
6月、本所の木材問屋は、東京木材問屋協会(材協)を結成。(会長・町田幸太郎)
8月、東京府知事は問屋同業組合に木材正量検査府営代行を許可する。
1937 昭和 12 7月、日中事変勃発。外材輸入制限進む。問屋同業組合は三井物産と共に軍用材30万石の供出を命令さる。9月、輸出入品等に関する臨時措置に関する法律公布さる。
1938 昭和 13 6月、物資動員計画発足(木材も使用制限品目となる)7月、物品販売取締規則公布。輸入材及びその製品の公定価格制定さる。
1939 昭和 14 政府は暴利取締令実施(昭12)に続き9月、価格等統制令(9.18価格という)を公布発令す。11月、用材生産統制規則及び用材規格規定公布、官営の木材検査始まる。
1940 昭和 15 日中戦争拡大、経済統制進む。10月、用材配給統制規則発令、12月、木材公定価格発令。問屋同業組合は木材価格監察委員会を設立、木材価格の自主取締に乗り出す。
1941 昭和 16 3月、政府は木材統制法公布、6月1日施行、木材業は1年期限の営業許可制となる。8月木材配給統制の全国機関として日本木材統制(株)設立さる(日木社)。12月、太平洋戦争勃発。
1942 昭和 17 5月、東京にも統制機関として大東京木材(株)設立さる。(社長武市昇太郎、重役に上野金太郎、稲勝正太郎、二代目長谷川鏡次ら25名、本社、木場ビル。)5月31日、木材営業は一斉に全廃。7月問屋同業組合も解散。9月、上野精養軒で解散式。(昭和11年就任の8代目組合長武市昇太郎)。
木場は機能を停止。当時の組合員役800名。本所の「材協」も解散。
1943 昭和 18 商工組合法制定さる。4月大東京木材(株)は東京都地方木材(株)(都木社)に改組。7月、東京都政実施。
1945 昭和 20 3月10日未明の大空襲により木場全焼、8月15日終戦、9月、連合軍占領行政始まる。木材配給制なお続く。闇取引横行、物価急上昇。住宅不足420万戸といわれる。